これはカブトガニの北限記録ではないだろうか

明治時代の日本各地の新聞から、幽霊、妖怪、怪談等のいわゆる心霊現象や超自然現象に関する記事を集めた、
「明治期怪異妖怪記事資料集成」(湯本豪一編. 国書刊行会, 2009)には、純粋な怪奇譚以外に珍奇な生物の記録が案外多い。
江戸時代頃までは人魚とか河童と言った空想の動物を捕まえた、等の荒唐無稽な話も多いが、
明治に入るとさすがにそういった動物が新聞記事になることは少なくなる。
例えば珍奇な深海魚の出現に、吉兆だ、いや凶兆だ、と一喜一憂する様子もほほえましいし、
発見が稀な生物の記録として生物学的に興味のある記事も散見される。
そんな中で、"珍奇なる動物" と言う北海タイムスの明治41年7月3日付けの記事が目に留まった。
以下に引用する。(適宜句読点を補った)
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函館寶町三十九番地小川みよ方の漁夫和田峰吉なる者が、函館灣内にて捕獲したりとて、小樽花園町西宇三郎方へ送附し來れる奇体なる動物あり。
目下同町にて見世物興行中なるが、該動物は龜の畸形なるものならんと某新聞に掲げありたれど、全く然らざるを以て一應實見せられたしとて、
昨日態々小樽支社へ持參したるが、一見するに青銅色なる椀の如き甲羅を有し、横九寸縱八寸あり。外に三角狀を爲せる同色の堅き尾を有せり。
之を仰向にすれば、濃厚なる蛯茶色の脚十本手二本ありて、蛯又は蟹の夫れに彷彿たり。又た尾より左右に甲に添ふて劔狀を爲せる鋭利なる十本の凸起物あり。
肛門附近の模様は殆んど蟹に近かし。而して凸起せざる暗色を帶びたる兩眼は背部にあり。
此動物が其肢脚を屈曲して甲の中に納め尾を眞直ならしむる時は、俗間に使用するところの臺鍋へ柄を付けたるに異ならず。
近頃珍奇の動物なり。
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横九寸縦八寸、とあるから少し大きめの皿ぐらいだろう、この大きさで、青銅色で尾があり、裏に足がある、となれば、これはカブトガニしかないだろう。
カブトガニは歩行のための付属脚が5対あるので、脚の色や形、背にある目などの特徴もほぼ完全に一致すると言って良い。
現在は瀬戸内海や九州の沿岸部にぽつぽつと生息地が知られているのみだが、以前はこの地域一帯に広く分布していた。
岡山県笠岡市の生息地が国の天然記念物に指定されたのは1928年、愛媛県西条市が県の天然記念物に指定されたのが1949年なので、
昭和初期には既に個体数はかなり少なくなっていたのだろう。瀬戸内海の海辺で育った私も見たことが無い。
カブトガニは主に東南アジアから中国南部にかけて棲息し、瀬戸内海は北限の生息地とされる。
北海道という遠く離れた場所の記録には疑問が残るし、私の知らない別の生物かも知れない。
泥質の浅い海底に住むカブトガニが海流に乗って長距離を移動するとも思えないので、
故意かどうかはともかく、人為的な移入の可能性もあるが、もしかすると北限記録かもしれない、と思う。

(2021.10.22 記)