ミナカタ・コード

実は、と言うほどでもないが私は南方熊楠が好きだ。
中学生の頃きっかけは何だったか忘れたが民俗学にかぶれた時期があって、民俗学者になろうかと本気で考えていた。
そこで柳田国男や折口信夫、さらに南方熊楠の全集と読み進んで、南方熊楠の著作にすっかり魅了されてしまった。
当時、平凡社から出版されつつあった新版の南方熊楠全集を学校の図書館から借りて読んだのだが、
名文とはいえないけれど自由闊達で独特な文体、圧倒的な読書量と超人的な記憶力に基づいて博引される古今東西の文献、
結論が無いようでいてちゃんと落とし所がある絶妙の展開、随所に出てくる妙に明るい猥論等が中学生の私を虜にしてしまったのである。
当時、昆虫少年でもあった私の小遣いはほとんどが昆虫関係の雑誌(「月刊むし」とか)の購読費に当てられていたのだが、
それを諦めてまで東洋文庫版「十二支考」を購入する、といった具合だった。
当時、彼の英文論考を読んで理解するだけの英語力はまだ無く、それらを本格的に読むのは大学に入ってからだったが、
その時から、いやそれ以前から気になっていたことがあった。それが彼が英訳した方丈記である。

熊楠はディキンズ(Frederick Victor Dickins, 1839-1915、イギリスの日本学者)の依頼を受けて鴨長明の方丈記を英訳し、
それはディキンズの修正を経た上で1905年、The journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland に掲載される。
この雑誌(熊楠の訳を借りると「皇立亞細亞協會雜誌」)に掲載された時は熊楠が第一訳者としてディキンズと連名で掲載されているのだが
熊楠との共訳と明記されていたこの翻訳は後にゴワンズ社から出版された時には熊楠の名が消されていた。
私はゴワンズ版はまだ見ていないのだが、内容はわずかな修正を除いては初出の文とほとんど変わらないという。
熊楠が矢吹義夫氏に宛てた長大な手紙の中でこの方丈記について触れている箇所がある。
南方植物研究所の設立募金を依頼するために日本郵船の矢吹氏に自分の経歴を書き送ったこの手紙は一般には「履歴書」として知られているが、
平凡社版全集は現代かな使いに改められていて熊楠の文章の味が抜けているような気がして個人的にはあまり好きではないので
原文に忠実といわれる乾元社版全集から該当部分を引用する。(横書きなので踊り字は漢字にした。)
「然るに英人の根性太き、後年グラスゴウのゴワン會社の萬國名著文庫に此方丈記を收め出板するに及び誰がした者か、ヂキンスの名のみを存し
小生の名を削れり。然るに小生兼て萬一に備ふる爲め、本文中一寸目につかぬ所に小生が此譯の主要なる作者たる事を明記しおきたるを、
果して一寸一寸氣付かずそのまま出した故、小生の原譯なる事が少しも損せられずに居る。」
これを読んで私は、ただ英訳するだけで無くそこに名前を隠しこむことができた、という熊楠の言葉に驚き
さすがは十数ヶ国語を操ることができた熊楠だ、と思ったのである。

この英訳方丈記は平凡社版南方熊楠全集では第10巻に収められているが、監修者の岩村忍は同巻所収の解説「南方熊楠の英文著作」の
英訳方丈記について述べた部分で「もう一つ、わたくしの腑におちない点がある。」として「履歴書」の上記部分にふれ、
「読み返してみたが ... どこにも発見できなかった。そのうちに、時間をかけてもっと丹念に捜してみようと思っている。」と書いている。
岩村もやはり熊楠の言葉が気になったようだ。だが碩学岩村の眼力を以ってしても熊楠の細工を見つけることはできなかった。
あれこれ調べてみたが、これを捜し出したという報告はまだ無いようだ。

熊楠が目に付かない所に隠した「小生が此訳の主要なる作者たる事」とは何だろうか。学生の頃、英文方丈記を読んでみた。
名訳かどうかは良くわからないが、逐語訳では無く硬い感じもしないし特に不自然な部分は無さそうだ。
この訳文のどこかに、これは自分の仕事だ、ということを熊楠は隠しこんでいるというのだ。どこだろう。ただ読んだだけではわからない。
コピーをとって探しながら読んで見る事にしたのだが、さて、何をどのように探せばいいのだろうか。
まず、何を隠しているかを考えてみる。記号か、それとも文章か。熊楠は筆名や号をほとんど使っていないので
自分の仕事を主張するのであれば「MINAKATA」あるいは「KUMAGUSU」という言葉が入っていると考えていいだろう。
ではどのように隠しているのだろうか。

日本に古くからある言葉遊びに折句というものがある。
短歌やその他の文章などの中に別の言葉を織り込むもので、伊勢物語にある次の歌が有名だ。
らころも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもふ
の頭文字に「かきつばた」を折り込んでいる、というものだ。英語でも同様のものがあって acrostic といい作品例も多い。
おそらく熊楠はこれと同じような方法で自分の名前を隠したのではないだろうか。
隠し方は色々あるだろうが、たとえば各頁の先頭の文字を読んでいく、などの組版レベルでの隠しこみは出版に関われない熊楠には無理である。
各文の先頭、あるいは何文字かづつ跳ばして読む、あるいは逆に読む、などの隠し方が可能性が高いだろう。
「MINAKATA」にしろ「KUMAGUSU」にしろ、K と M が含まれる。K は英語の文章では比較的発現頻度の少ない文字である。
手始めに K を調べよう。そして K の近くにある M を捜せばなにか法則性が見つかるかも知れない。
K にチェックを入れながら読んでみる。その上で付近の M を調べる。何回かいろいろ試してみたがわからない。で、この時は諦めた。

二度目に試みたのは10年程前、perl というプログラム言語を習った時である。
仕事上必要に迫られて勉強したのだが、perl の優れた文字列操作機能を駆使すればもしかしたら見つけ出せるかも知れない、と考えたのだ。
早速訳文全文をテキスト入力し、様々な文字列処理をかけてみた。
K とその近傍の M を、冒頭からの段落数、文章数、単語数、文字数等の情報と共に抽出する。
そして考え付いた全ての法則を試して「MINAKATA」や「KUMAGUSU」の文字列の規則性があるかどうかを見つけ出そうとした。
何度もスクリプトを書き換え、数式を組み立て直しては試みたが発見できなかった。結局、私は隠した名前は無いと結論付けた。
名前以外の言葉が隠されている可能性もあるし、acrostic 以外の方法で何かの目印を隠しているのかもしれないが、
熊楠が履歴書に書いたのは彼が筆を滑らせてしまった、ちょっと誇大な表現だろうと思った。

そして数年前、熊楠の訳文を詳細に検討した小泉博一氏の論文「熊楠の英訳「方丈記」の草稿」(熊楠研究4号, 2002)を読んだ。
それによると発表された訳文は熊楠の草稿とはかなり違っている。これではもし熊楠が隠しこんでいても消されているだろう。
同号に掲載されている草稿(部分)を念のためにチェックしてみたけれどやはり名前は隠されていないようである。

だが熊楠は本当に何も仕掛けをしなかったのだろうか。昔取ったコピーを引っ張り出してもう一度読んでみた。
最初から何も仕掛けが無いのなら「作者たる事を明記しおき」とか「氣付かずそのまま出した」などとは書かないのではないか。
熊楠が実際に何か仕掛けをし、それが残っている可能性は無いのだろうか。
熊楠はディキンズが自分の訳文を推敲する事は承知していたはずだ。その上で仕掛けを隠そうとするのならそれなりの工夫が必要だ。
もしディキンズが訂正できない箇所、そんな所があれば、そしてそこにうまく細工が出来れば熊楠の企みはまんまと成功するのである。
絶対にディキンズが手を入れることができない箇所、それは年号などの数字や固有名詞、それと日本語の引用部分だ。
しかしそこは熊楠にとっても細工が非常に困難な部分(実質的には不可能だろう)であることは間違いない。
そんな事を考えながら読み直してみて気がついたことがある。

熊楠訳方丈記には後ろに熊楠自身による解説 "Notes on Chōmei by Minakata Kumagusu" が付いている。
訳文ではないし熊楠によると明記されているので気にしていなかったのだが、そこには鴨長明の歌が5首「鴨長明集」から引用されている。
そこに最初に引用されているのが次の歌である。

隈も無き 鏡と見えて 澄む月を 百度磨く 沖つ白浪
くまもなき がみとみえて むつきを ももびみが おきつしらなみ

この歌は「くま」で始まり、逆から読むと「みな」から始まる。そして「みなかたくまくす」全ての文字が入っている。
しかも熊楠の名に2回現れる「く」は、この歌にも2回現れる。(熊楠の名前は「くまぐす」だが、ここでは清音と濁音は区別しない。)
これは偶然だろうか。「みなかたくまくす」の文字全てが一首の中に現れるのは普通の事なのだろうか。早速「鴨長明集」を調べてみた。
現在「鴨長明集」はネット上で公開されているので、ダウンロードして perl を使ってチェックすれば数分もかからない。
「鴨長明集」は100首あまりを収めているが「みなかたくまくす」全ての文字が入った歌はこれだけである。
他にも勅撰集を中心に数千首をチェックしてみたが条件に合うのはやはり1%程度である。因みに小倉百人一首にはこの条件に合う歌は無い。
たまたま選んだ歌に「みなかたくまくす」の文字が含まれる可能性は殆んどゼロに近い、と言って良いだろう。
熊楠がこの歌を選んだのは単なる偶然では無いような気がする。
鴨長明集の中に自分の名前が含まれている歌があることに気づいた熊楠が意識的に第一首に引用したのではないだろうか。

(2007.04.01 記)