「日本大百科全書」(小学館)の中島敦の肖像写真が変だ

高校ぐらいまでは本を読むことはむしろ好きだったし、読書する時間もあった。
父の本棚にあった大部な文学全集(筑摩書房の現代日本文学全集だったと思う)も読破したし、学校の図書館の本を書架の端から順番に読んだりした。
大学に入ると小説はほとんど読まなくなり、図書館に就職する頃には読書嫌いになっていて、趣味としての読書をすることは全く無くなった。
柳田國男が「小説は勉強には何の役にも立たないから読んではいけない」と言った、という話を読んだ記憶もあったし、(定本柳田國男集の月報だったか)
研究のために国内外の学術論文を読む事に時間を取られるようになったためだ。
好きな作家も特にいない(強いて挙げるなら久生十蘭)が、好きな作品は、と言われるといくつかある。
尾崎紅葉の「金色夜叉」が一番かなと思うが、中島敦の「山月記」も好きな小説の一つだ。
先日、小学館の百科事典 「日本大百科全書」 で調べものをしている際に、「中島敦」の項目が目に留まった。
度の強そうな丸眼鏡をかけた肖像写真も掲載されている。(下に転載)
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Nakajima Atsushi
日本大百科全書 17巻, p. 425 の "中島敦" の項目(小学館. 2版2刷、1995.7)より。少し拡大しています。
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そうそう、国語の教科書に載っていた写真もこんな風貌だったな、喘息で若くして亡くなったんだよね、と眺めていて、なんとなく違和感を覚えた。
彼の顔が私の記憶と違っている様な気がしたのだ。
中学生の頃、教科書に載っている偉人や小説家の顔に良くイタズラ書きしていた。
正岡子規をアフロヘアにしたり、武田信玄にはサングラスを、ミロのヴィーナスにはブラジャーを付けさせたりしたものだ。
そんなこともあってか、自慢じゃないが主な歴史上の人物の顔は結構細部まで覚えているつもりだ。
この中島敦の顔は何かが違う。どこか変だ。うーん、この違和感は何だろう ... しばらく考えていて、気がついた。
この写真では、髪は右分け(右目の上で分ける)に見える。(写真では向かって左側に分け目があって、右へ分かれているのが確認できる)
私の記憶では中島敦の髪は左分け(左目の上に分け目)だったはずだ。上掲の画像はいわゆる "裏焼き"(左右反転、鏡像)ではないのか?

彼の全集や、「写真資料中島敦」(創林社, 1981)で確認してみた。
帽子をかぶっていたりして分け目が確認できない写真もあるが、成人後で分け目を確認できた写真は20枚近くあり、全て左分けである。
昭和5年1月撮影の大学受験写真は前髪は短く、真直ぐ降ろしているが、昭和6年3月撮影の写真では、きちんと左分けにしていて、私の記憶通りである。
参考までに google の中島敦の肖像の画像検索結果 はこんな感じ。(全く関係ない画像もあるし、上掲と同じ反転画像も混在しているが。)
そして Wikipedia の 中島敦 の記事(2019.07.07 閲覧確認)では、外国語版も含めて、これと同じ反転した肖像写真を使っている。
(肖像写真の解説ではパブリックドメインとなっている。もしかしたら今後差し替えられるかもしれないので、念のために こちら にダウンロードした画像を置いておく。
[ダウンロード元URL https://commons.wikimedia.org/wiki/File:AtsushiNakajima.jpg. Downloaded in 2019.07.07]
背広の第一ボタンの少し上あたりまで写っている。よく見ると顔の影の部分と、ネクタイの縞柄の一部には筆で修正した様な跡が見えるが、古い写真では比較的よくあることだ。
Wikipedia の画像では右胸に白いものが映っている。胸ポケットのハンカチーフだろう。当然だが胸ポケットは左胸にある。
背広の前の合わせも、右が上になっているように見え、明らかに反転している。
写真の両下隅には白い部分があるが、おそらくオリジナルの写真は楕円形をしていたのだろう。
Wikipedia の画像ではそれが方形にトリミングされ、日本大百科全書の写真はさらに顔の部分をトリミングして使用しているようだ。
他の資料でこの肖像を使っているものを調べてみると、
デジタル大辞泉の中島敦の肖像(JapanKnowledge. 2019.07.07 閲覧確認)は、これの反転していない正しい画像を使用している。
彼の全集や、写真集などをいくつか調べたが、基となったと思われる正像の写真を見つけることはできなかった。
(多くの肖像を掲載していると思われる「図説中島敦の軌跡」は未見。)
ただ、同じ襟の形の服で同じ柄のネクタイ姿、同アングルの楕円形の肖像写真(もちろん左右は反転していない)がある。
中島が昭和8年から16年まで教師をしていた横浜高等女学校の第三十五回卒業記念帳 (1936) に掲載されているものだ。
(たとえば 久喜市のホームページの中島敦の紹介記事横浜高等女学校の紹介記事 の中島敦の写真がそれである。ともに 2019.07.07 閲覧確認)
筑摩書房の中島敦全集第一巻の口絵の肖像写真も同じものだ。
顔の印象がかなり違うので、最初は記念帳の写真と Wikipedia の画像は別のものと思ったが、服のしわ、ポケットのハンカチーフの形などが殆ど区別つかないほど一致することに気が付いた。
一方の画像を反転させて重ねあわせると、眼鏡の傾き加減などもほぼ一致する。Wikipedia の画像は記念帳の写真を複製、加工したものだろう。少なくとも、原版は同一と思われる。
複製の際に誤って反転させてしまったものと思われる。

先日、新5000円札の津田梅子の肖像は津田塾大学が提供した写真を反転させたものではないか、との報道があった。
顔を紙幣の内側に向かせるためだったらしく、財務省は 「問題ない」 としているようだが、やむを得ず顔の向きを変えるのならもう少し上手にして欲しい、と思う。
本人を知っている人が新紙幣の肖像を見たら "この顔はなんだか違うな" と感じるのではないか。
もっとも、問題の写真は1901年頃に撮影されたものだと言うから当時の風貌を知る人はもういないし、
津田梅子は1929年に亡くなっているので生前の彼女を覚えている人もいないと思うが、
だからこそ鏡像の津田梅子が正しいものであるかのように一般に広まってしまいそうで心配だ。
中島敦は自画像を残している(神奈川近代文学館所蔵)が、鏡を見て描いたのだろう、髪の分け目が逆になっている。
自ら左耳を切ったゴッホの有名な自画像も右耳に包帯をした鏡像なので、左向きの顔写真を参考にして右向きの似顔絵を描く、というのは一流画家でも難しいのだろうが、
最新の CG 技術を駆使すれば顔の向きを動かすことぐらいはできそうな気がするのだが...
新紙幣のデザインはさておき、正確な情報を提供すべき百科事典や Wikipedia の肖像写真が反転しているのはまずいと思う。Wikipedia の画像、誰か差し替えてくれないかな。

私が参照した「日本大百科全書」は、上記引用注記にも書いた通り、2版2刷 (1995) です。
正誤表は付いていませんでしたが、もし後刷りで修正されているのならすみません。
[2019.07.23 記]

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先日偶々、中島敦の Wikipedia を閲覧して、肖像写真が正しいものに差し替えられているのを知りました。
編集履歴を見ると、2023年10月17日に 2SC1815J 氏によって修正されています。
2SC1815J 氏は10月16日、X(旧 twitter)に反転画像ではとの疑問を投稿していて、私のサイトを引用しておられます。
それがきっかけで、中島敦の会から写真提供があり修正できたようで、反応と対応の速さに驚きました。
google の検索結果でも、反転画像の出現は4年前に比べて減っているように感じます。
反転画像が修正されたのは勿論のこと、門外漢の私が僅かながら貢献できたような気がして嬉しいです。
ただ、変だと気付いた時に、何か積極的にアクションを起こした方が良かったのだろうな、と少し反省もしました。
[2024.01.01 追記]

(2019.07.23 初出、2024.01.01 追記)