神戸新聞に掲載された「お菊虫」の正体が謎めいている。

明治から昭和初期ぐらいまでの古い新聞記事を読むのが楽しくて、暇な時にあれこれと読んでいる。
最近は復刻出版されている新聞もあるし、朝日、毎日、読売等の新聞はデータベース化されていて明治初期からの紙面をオンラインで読むことができる。
特に好きなのは広告と三面記事だ。広告は怪しげなものが多いし、今なら誇大広告として取り締まりの対象となりそうなものも目立つ。
三面記事も間抜けな盗人や変な痴話事件から、事件かどうかすらも怪しいようなものまでさまざまだ。
そして妙に多いのが変な生物を採ったとか、妖怪に出会ったとか、鬼の子供が生まれたとか、いわゆる怪奇譚の類である。
それも単なる噂話として扱われているのではなく、具体的にどこの誰の話なのか実名が出ている事も多い。
それがいかに珍奇な出来事かを言葉を尽して伝えようとしている熱意は十分わかるのだが、
まだ新聞に写真があまり使われていない時代で、言葉や絵で伝えるのには限界があって、
それが一層怪しさを増す原因にもなっているように思う。そんな記事の中に「お菊虫」という虫がちらほらと現れる。

お菊虫、と言っても知らない人が多いだろう。お菊虫は「お菊さん」の霊が虫となって現れた、と言われるものだ。
お菊さんは怪談「皿屋敷」の主人公。井戸端で夜な夜な彼女の幽霊が「一枚、二枚 ...」と皿を数える場面が有名だが、これも知らない人が増えているかもしれない。
いくつか類話があって、播磨国、姫路が舞台の「播州皿屋敷」と、江戸が舞台の「番町皿屋敷」が有名だろう。
この怪談やその類型については、様々な考証があるので詳しい説明はそれらに譲るとして、
簡単に言ってしまえばお菊虫というのは ジャコウアゲハ という蝶の のことである。蛹の姿形が見方によっては後ろ手に縛られた女性の姿の様だ、とされる。
(画像の蛹は京都市内で撮影したもの。成虫は自宅で羽化させたもの。)
ジャコウアゲハの蛹は、国内の他のアゲハ類の蛹とはかなり形が異なっていて、色も橙色っぽいのが特徴的で、比較的よく目立つ。
もっとも、少なくとも明治時代ごろまではジャコウアゲハに限らず、似たようなアゲハ類の蛹を総じて「お菊虫」と称する事も多かったようだ。
例えば明治39年6月18日の朝日新聞朝刊の記事で「お菊虫の親子」として図示されているのは明らかにアゲハである。

さすがに明治に入るとお菊虫が蝶の蛹だという事は広く知られていたはずだが、
播州皿屋敷の舞台となった姫路では、戦前までこの蛹が土産物として売られていたという。
その様子は志賀直哉の「暗夜行路」にも描かれているし、外国人にも人気があったようだ。

神戸新聞に掲載されたお菊虫の記事を見て、驚いた。
まずは記事(明治42年2月15日、月曜付録、怪談号)を転載する。
[明治期怪異妖怪記事資料集成 / 湯本豪一編, 2009. p. 712 から引用。旧字体、歴史的仮名遣いは現行のものに改めた。]
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姫路 お菊虫の話(お菊虫は何か)
姫路にお菊虫と云ふものを売って居る、近頃は姫路名産として桐の箱に入れて停車場などにても販売するが、
こは例の芝居や浄瑠璃にて演ずる播州皿屋敷の青山鉄山が侍女お菊を嬲り殺しにした為に、
お菊の死霊が祟りをなすと云う事で、それが為に姫路には御菊神社を祀りお菊の亡霊がこのお菊虫になって
今に残って居ると言ひ伝えてあるが甚だ馬鹿気た事だから怪談号の終に其お菊虫がなんであるかを説明する事とした。
 このお菊虫は鳳蝶の蛹にて体はやや蚕蛹に似、全体稍硬き皮膜にて被れ其尾端を以て他物に附着し一種の絹糸を環状にたわめて
其中に体の上部を挿入し以て之を支えたる者なり、絹糸にて体の上部を支う様は一見自体を縊れる者の如く故にお菊虫と称するなるが
人は此状とお菊の故事とを聯絡し此の蛹を以てお菊の生れ変りし者とせるならん、故にお菊虫をば一名縊虫とも云う、
人若し此の蛹に触るゝ事あらば著しく動きて其害を避けんとす、其様如何にも滑稽なるものなり。
此蛹は甚だしき酷寒にも風雪にも良く堪ゆるものまで越冬して翌春、温暖の候孵化して美麗なる鳳蝶となる、
姫路にてはこの蛹を生捕りてお菊虫と称して売るなり。
 このお菊虫(鳳蝶の蛹)の前時代は即ち幼虫と云うものにて俗に「ユズボウ」と称するものにて
全体青緑色にて数多の体節よりなり頭端に二本の角を有し、多く柑橘類に附着して其葉を食害するの厄介至極なる害虫なり。
 お菊虫も温暖の候に孵化して美麗なる鳳蝶となる、鳳蝶には種々なる彩色と形状の異なって居る
(アゲハ、クロアゲハ、クロタイマイ、キアゲハ、ジャコウアゲハ又山女郎、カラスアゲハ、ギフチョウ)等の種類となって
花間を飛び廻る美わしき蝶となるのである、お菊の幽霊でも化物でもあった者でない、
姫路でなくてもお菊の虫は日本中鳳蝶の居る処には必ず在るのであるから姫路の独特の名産ではない、
姫路もこんな女の幽霊見た様なお菊虫など名産だの名物だのいわれては大困りと思うから姫路の独産でない事を云うて置く。
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記事自体は一般的な啓蒙記事で、それほど驚く事は書かれていない。
アオスジアゲハがクロタイマイとなっていたり、ジャコウアゲハの異名としてヤマジョロウを挙げているのが明治の雰囲気を漂わせている。
幼虫の説明が「青緑色」で「多く柑橘類に付着して其葉を食害」とあるけれど、
例として挙げられているアゲハ類の中では当てはまらない種の方が多いのが残念だが、まあ良しとしよう。
(当てはまるのはアゲハとクロアゲハ。カラスアゲハは栽培種のミカン類はあまり好まない。)
ちなみに ジャコウアゲハの幼虫 はこんな姿をしている。食草はウマノスズクサ類。丈の低い蔓草の仲間である。
他に突っ込みどころがあるとすれば、最後の「姫路もこんな女の幽霊見た様なお菊虫など名産だの名物だのいわれては大困りと思う」の部分だろうか。
少なくとも後世の姫路の人は全然困ってなんかないですよ、1989年にはジャコウアゲハを市の蝶に制定して PR してますよ、と教えてあげたい。
それはさておき、私が驚いたのは、その挿絵である。(下図)

okikumushi

ここに描かれた蝶はジャコウアゲハではない。もちろん普通のアゲハでもない。これはミカドアゲハだ。
明治期の新聞の挿絵はいい加減なものが多い(特に生物は)のだが、これは翅形、斑紋の形、数などほぼ正確に描かれていて、まず間違いない。
(ただし、右に添えられた蛹の絵はミカドアゲハの蛹ではない。おそらくアゲハの蛹だろう。)

ミカドアゲハはアオスジアゲハに近縁な蝶だ。東南アジアの熱帯から亜熱帯地域に広く分布し、日本南部が北限にあたり、幼虫はオガタマノキを食べる。
オガタマノキ(招霊木)は神社に植えられることが多いので、成虫は社叢などで見られることも多く、伊勢神宮は生息地として良く知られている。
現在は温暖化の影響だろうか、少しづつ北上している様で、本州では中国地方南沿岸部、紀伊半島沿岸から知多半島あたりまで点々と分布地が知られるが、
京阪神地方ではまだ確実には定着していないようだ。より温暖な四国や九州でもアゲハの様に普通に見られる蝶ではない。

兵庫県内でのミカドアゲハの記録は1958年に淡路市で見つかったのが初記録で、たつの市(2008)、赤穂市(2014)等の記録があるが、
たつの市で発見された際には新聞記事にもなった(朝日新聞6月26日付け朝刊24面)ぐらいだから、
現在では既に土着しているかもしれないが、少なくとも十年程前までは偶産蝶だったと思われる。
難波 (岡山県におけるミカドアゲハの分布拡大. 月刊むし ; 457, p. 25-31. 2009) 等によると、
ミカドアゲハは本州では1950年代に山口県から東に分布を拡げ、1980年代に広島県、1990年代には岡山県に達し、主に南部で発生しているという。
明治時代の姫路周辺には生息していなかったはずだが、神戸新聞の挿絵にあるお菊虫から羽化したとされる蝶は間違いなくミカドアゲハである。これはどういうことだろう。

お土産のお菊虫は、先に引用した新聞記事では「この蛹を生捕りてお菊虫と称して売る」とあるけれど、生きている蛹ではなく、殺して乾燥させたものだった様だ。
どのようにして蛹を集めたのかわからないが、売るほどの数を野外で集めるのは大変なので、幼虫を飼育していたのだと思う。
飼育にしろ、野外で集めるにしろ、食草も形態も全く違うミカドアゲハの幼虫や蛹が混じる可能性は無い。
また、高木になるオガタマノキを食べるミカドアゲハの蛹を見つけるのは素人にはかなり難しいはずだ。
神戸新聞の記者はどこからミカドアゲハの蛹(あるいは成虫)を入手したのだろうか。
それとも、何か他の書籍からアゲハ類の成虫の絵を孫引きしたら、それがたまたまミカドアゲハだったのだろうか。
何はともあれ、こんな怪しげな記事が大好きだ。

(2020.07.27 記)