なんちゃってラテン語

私が小学生の頃だから30年以上前になるだろう、ハウス食品から「そばゲッティ」というインスタントラーメンが発売されていた。
残念ながら食べたことは無いのだがトマト味のラーメンだったと思う。あまり人気がなかったのか、すぐに見なくなった気がする。
これのテレビコマーシャルがこんな風だった。
「そばゲッティ、すぶきび?」
「おぼいびしびいび。」
誰が出演していたのか記憶が定かでないが(佐藤祐介だったか?)小さな女の子が「おぼいびしびいび。」と答えていたはずだ。
この「おぼいびしびいび」というのは、「おいしい」の各音の後ろにその母音と同じ母音の「ば」行音を挟む (「お, O」なら「ぼ, BO」、「し, SHI」なら「び, BI」)
一種のことば遊びである。いつ頃からあるのか知らないが、母(昭和一桁生まれ)がこのコマーシャルを聞いて
「小さい頃に流行って遊んだ事がある」と言って流暢にしゃべって見せたから戦前からある遊びなのだろう。
この遊びのことを「ばび語」と言うらしく、一部では流行っているらしい書き込みがネットにもあるけれど、実際のところはどうなのだろう。
先のコマーシャルも、なぜこんなものを使ったのかわからないが(そばゲッティに「ば」が入っているからか?)なんだか違和感があったのを覚えている。
面白ければ学校でも流行るはずだが、周りの誰も使わなかったし流行った記憶も無い。
もっとも私自身は結構気に入って、母からお遣いを頼まれた時に「いびやば!」などと言って怒られたりもしたが。

こんな遊びは日本語だけかと思っていたが、後にトルコ語にも「kuşdili」というたいへん似た言葉遊びがあることを知った。
kuş は鳥で dili は言葉と云う意味だから鳥のさえずりのような言葉の意味だろう。
大学書林のトルコ語辞典では例として
Ben bugün okula gittim. に -pç[+母音]- を挿入して Bepçen bupçugüpçün opçokpçulapça gipçidipçim. とする例が載っている。
また、韓国語にもほぼ同じ言葉遊びがある事もわかった。外国語にも日本語と同じ遊びがある事に興味を持ったけれど、
子音と母音の並びが随分異なるヨーロッパ系の諸外国語ではこのような遊びは難しいだろう、等と勝手に考えていた。
(韓国語は日本語と近いし、トルコ語も音の並びは比較的日本語に似ていると思う。)

だが、実際には多くの言語に似たような遊びがあり、たとえば英語には Pig Latin という言葉遊びがある事を最近教えてもらった。
これは「語頭の子音(群)をその語末にまわして -ay をつける」というもので、たとえば Pig Latin だと igpay atinlay となる。
英米に限らずオーストラリアなどでも使われているらしいので英語圏共通の遊びだろう。
子供がふざけて使う他に、たとえば監獄で囚人が看守に聞き取られないために隠語として使うこともあるという。
先頭が母音だと後ろに回すものが無いわけだが、そのときは単に "way" をつける。(all は allway になる。)
また、子音(群)というのはたとえば 「group」は「oupgray」というふうに "gr" の部分が後ろに回されるからだが、
「roupgay」とすることもあるようで、もともと遊びだからそんなに厳密なものでもなく、一種の方言といったところだろう。
よく知られた言葉遊びらしく English-Pig Latin の翻訳サイトもあるし変換プログラムも幾つか公開されている。
Google の表示言語の設定にも Pig Latin(日本語版だと「なんちゃってラテン語」)として登録されているから驚きだ。
試しに設定を Pig Latin にすると確かに説明文が Pig Latin になるのだが、画面下の方の "Google" だけは Ooglegay とはならず Google のままである。
(下の画像は表示言語を Pig Latin にした Google 検索結果画面の一部分)
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Robert Greene
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これはふざけた画面設定にしても Google の名前だけははっきりさせておくぞ、という意気込み?の様なものが感じられて面白い。
それはさておき、私はまだ英語のネイティブが Pig Latin で遊んでいるのを聞いた事が無いのだが果たしてラテン語風に聞こえるのだろうか。
Pig Latin はその変換方法を見てわかるように各単語は必ず母音で始まり ay で終わる。
ラテン文は見た限りでは特にそんな風にはなっていない。Pig Latin というのはわけのわからない言葉、ぐらいの意味だろう。

日本で比較的知られている他の言葉遊びはスウェーデン語の「山賊言葉 = Rövarspråket」だろうか。
アストリッド リンドグレーン (Astrid Lindgren) の小説「カッレ君の冒険」のなかで使われていると言えば思い出す人もいるはずだ。
これは母音はそのまま、子音は o を挟んで繰り返すというもので リンドグレーン (Lindgren) なら Lolinondodgogrorenon となる。
尾崎義氏の邦訳では「山賊ことば」あるいは「ろろことば」となっているが該当部分を尾崎氏の訳文(岩波書店, 1958)から引用してみる。
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「こぼろろくこたろろち、こすろろぐ、こたろろすこけろろに、こいろろくよ」と、どなった。
これは、白バラ軍の暗号で、「ぼくたち、すぐ、助けにいくよ」ということだった。
... 途中略 ...
単語の頭に「こ」をつけ、二番目の音のあとに「ろろ」をつけるだけである。
だから、例えば、カッレは「コカロロッレ」、アンデスは「コアンロロコデロロス」になる。
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訳文では規則が違っている。おそらくスウェーデン語と同じ方式の変換が日本語では難しいので尾崎氏が工夫したものだと思う。
スウェーデン語には Allspråket という「最初の子音の後ろに "all" をつける」言葉遊びもあるらしいので、それを参考にしたのかもしれない。
リンドグレンのこの小説は母国ではとても有名で映画化もされている。山賊言葉もよく遊ばれていると紹介しているものもあるのだが
小学校時代をスウェーデンで暮らした経験がある女性に尋ねてみたところ遊んだ記憶は無いと言う。そんなにポピュラーなものでもなさそうだ。
(この遊びはリンドグレンの夫、ストゥーレが子供の頃、スウェーデン南部のマルメの学校で流行ったものを小説に使ったらしい。)

フランス語の「逆さ言葉 = verlan」は歌や詩などにも使われているからかなり一般的なものだろう。
単語の音節をひっくり返すもので、その verlan という名前自体が l'envers (裏返し) を逆転させたものだ。
日本語でもテレビでお笑い芸人達が「ジャーマネ」などと言うのを聞くが、verlan は基本的に発音をひっくり返すものなので
発音に従うスペルはかなり違ってしまう場合があり(femme は meuf となる)書かれた場合はその綴りを見ただけではちょっと判りづらい。

その他ドイツ語、ロシア語等にも似たような遊びがあるから、おそらくほとんどの言語にあるのだろう。
「名探偵カッレ君」は比較的多くの言語に訳されているので「山賊言葉」がそれぞれどんな風に翻訳されているか調べると面白そうだ。
これらの遊びがたとえば語族によって何か共通点があるかとかいった事をまとめた論文はまだ探し出せていないのだが
言語の系統によらず [b] 音か [p] 音を挟むものが多いように思う。いわゆる破裂音で、何か理由があるのだろう。
それはともかく世界各国の子供が同じような「わけのわからない言葉」で遊んでいる、と想像するのは愉快である。
だが外国語を(日本で)習った日本人に聞いてもこれらの遊びについては知らないと答えることが多い。
アメリカ人と結婚した日本の女性が、子供達は Pig Latin でよく遊んだというのに全然それに気付かなかったという話も聞いた。
「ばび語」も、何人かに聞いてみたが案外知らない人が多い。ましてや外国語の言葉遊びを知るチャンスは意外と少ないのかもしれない。

(2008.02.19 記)