昭和三十年に再版された伝記「鈴木喜三郎」の初版はあるのか?

以前、「岡村金太郎著「日本海藻學」は天下の孤本なのか?」の最後に、
「問題なく完成したにもかかわらず焼失して流通しなかったというのは非常にまれな例ではないだろうか。」 と書いたが、案外そうでは無さそうだ。
昭和三十年に出版された鈴木喜三郎 [1] の伝記、「鈴木喜三郎」(鈴木喜三郎先生傳記編纂會発行、非売品)には、
一枚の紙片が添付されていて、次のように書かれている。
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鈴木喜三郎先生御逝去以來拾有六年、当時有志のもの相集り先生の傳記編纂會を組織し、
御偉業を後世に傳うべく傳記編纂を企て、高須芳次郎博士 [2] に執筆を依囑致し完全なる鈴木先生の正傳完了、
寄贈配本致すばかりの処、不幸戰災に依りその全部を焼失し配本不可能と相成り関係者一同残念と存じ
其後屢々再刊計画を致しましたが時恰も占領治下の爲め資材不足其の他の事情の爲めに再刊を致し兼ねたる處、
幸にして原本の紙型全部凸版印刷會社の倉庫に保管され居りたると、関係各位の御支援に依り、
再刊を見るに至りたる次第、之れ偏に先生に対する御好情と深く感謝致します
茲に御挨拶申し上げます
   昭和三十年十一月  鈴木喜三郎先生傳記編纂會  代表 山岡萬之助 [3]
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奥付(再版時に新たに活字が組み直されている)には
昭和十九年十二月廿九日印刷
昭和二十年一月二日發行
昭和三十年十一月十日再版
と書かれていて、初版は1944年末に印刷されたことがわかる。
「寄贈配本致すばかりの処」と書かれているので、おそらく製本までは出来上がっていたのだと思う。
1944年末から終戦にかけて繰り返された東京空襲で焼失したのだろう。
普通は再版があればその前に発行された初版があるはずだが、
この昭和二十年に "発行" されるはずだった初版は国会図書館を始め、どこの図書館にも所蔵が確認できず、現存しないようだ。
火事で焼失した岡村金太郎の 「日本海藻學」 は、原稿も焼失したために出版できなかったがかろうじて国会図書館に現物が1冊残っている。
大阪の空襲で焼失した藤井乙男の「日本文学通史」は幸いにも見本版が残った。
伝記 「鈴木喜三郎」 初版は現物は焼失したが、紙型が残っていたために再版された。
これらの書物は何かしら残ったために、それが公刊されるはずだったという事実とその内容が確認できる。
だが、戦争末期には同じように印刷、製本されたものの全て焼失して何も残らず、内容がわからない本も多いと思う。
出版社の社史や当時の出版予告などを丹念に調べれば拾い上げる事ができそうだが、先行研究はあるのだろうか。

--- 注(番号をクリックすると文中に戻ります)---
[1]. 鈴木喜三郎: 1867年生まれ。帝国大学法科卒。大審院判事、大審院検事などを経て貴族院議員、立憲政友会総裁。司法大臣、内務大臣を歴任した。1940年没。
[2]. 高須芳次郎: 1880年生まれ。文筆家、評論家。早稲田大学文学部卒。筆名梅溪。1948年没。
[3]. 山岡萬之助: 1876年生まれ。法学者。貴族院議員。日本大学第3代総長。1968年没。

(2018.12.05 記)