徳富蘇峰の碑

Tokutomi Soho

京都大学から北に10分ほど歩いた所に田中神社がある。
その境内、北門から少し入ったところに高さ2メートル程の碑が立っていて「徳富蘇峯先生勉學之處」と刻まれている。
徳富蘇峰(1863-1957, 本名は猪一郎)は熊本県出身の戦前の代表的な言論人で、実弟は徳富蘆花だ。
こんな所に蘇峰の碑があるとは意外な気がする。碑には漢文が刻まれている。碑文を書き写してみる。

[正面=南面(上の写真)]
徳富蘇峯先生勉學之處
[西面]
先生同志社在學之頃(自明治十一年至同十三年)與同志寄寓此處水車牧氏樓上 [かっこ内小字双行]
營自炊生活積切磋琢磨之功築他日大成之礎余多年親炙于先生
受眷遇矣大正八年夏入洛偶然余亦卜居此處在住實及十有七年
[北面]
之久眞可謂奇遇乎近年因叡山電車敷設與土地區劃整理今也雖
至不留舊態余毎通過此處感愛著深焉頃日先生之郷人而余之親
交柔道教士福島清三郎氏於此處建義方館道場養成國士亦可謂
[東面]
奇縁也
昭和十一年初秋
   金子正道誌
   林榮三郎書

ざっと訳すとこんな感じだろう。
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徳富蘇峯先生が学んだ所
先生が同志社に在学していた頃(明治11年から13年まで)友人とここで牧氏の水車小屋の階上に下宿し
自炊をしながら切磋琢磨し、後に大成する基礎となった。私は長年先生に親しく目をかけてもらっているが
大正8年の夏に京都に来た私がたまたまこの地に住み、17年になるのもまさに奇遇と言うべきだろう。
近年叡山電車の敷設と土地区画整理によって以前の様子は留めないが、ここを通るたびに感慨深いものがある。
最近先生と同郷で、私と親しい柔道家の福島清三郎氏がここに義方館道場を建てて国士を育てているのも奇縁だろう。
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文中にある福島清三郎(1890-1950)は大日本武徳会武道専門学校の柔道教授で、満洲の建国大学で柔道顧問も務めた武道家である。
石原莞爾とも親交があり、後には石原の活動を支援するようになる。
(例えば石原莞爾の著書「最終戦争論」は昭和15年5月29日の義方会での講演をまとめたものである。)
義方会は武道を通じて青年を育成しようとした団体で、福島の自宅そば、田中神社の近くに道場ができたのは昭和11年10月という。
この碑は当初は今の場所より50メートルほど北にあった牧家の敷地内に建てられたらしい。
牧家の敷地は福島家に引き継がれたが、福島家の増築で戦後は全く外から見えなくなったため京都蘇峰会が移設運動を行い、
その結果昭和51年11月に現在地に移設されたのである。(京都新聞の同年11月8日の記事に拠る)
この碑文を撰した金子正道と文を書いた林栄三郎は共に京都大学附属図書館の司書である。
図書館の司書がこれだけの石碑を建てるからにはよほどの思い入れがあったのだろうが、蘇峰とはどんな関係があったのだろう。
金子は「尊攘堂誌」(1928)等を執筆しており、上記新聞記事によると尊攘堂主任となっている。
吉田松陰の遺志に基づいて品川弥二郎によって建てられた尊攘堂は維新の勤王志士の遺品、史料などを収蔵し戦前は例祭も行われていた。
後に京都帝国大学に寄贈され、現在収蔵品は附属図書館に「維新特別資料」として収蔵、
建物自体は京都大学文化財総合研究センターの資料展示室となっている(普段は非公開)。
金子はどうやら尊攘堂資料の管理も担当していたらしいのだが、
どういった人だったのかは京大図書館の歴史に詳しい方に聞いてみたりもしたが詳細は分らなかった。
金子は大正8年から昭和22年まで在職しているが(京都大学附属図書館六十年史に拠れば大正8年8月1日採用、昭和22年2月28日退職)
碑文にも「大正8年の夏に京都に来た」とあるようにそれまでは京都には住んでいなかったようだ。
同年8月の官報に「公立中学校教諭兼公立中学校舎監金子正道判任官に転任の件」、「公立中学校教諭金子正道叙位の件(従七位)」の
記載があるところを見るとそれまでは中学校の教師だったはずだ。
蘇峰とは明治時代から手紙のやり取りがある事が現存する資料からわかるが、どのような関係だったかは不明だ。
蘇峰と関わりのある人物が尊攘堂関係の仕事に就いたのには何か理由がありそうだ。
福島清三郎が政治的な活動を始めるきっかけに金子がいたのかも知れないなどとも思う。

蘇峰は昭和9年秋、京都を訪れ尊攘堂の大祭に参列しているので、これが石碑建立の動機だろうか。
戦後一度外から見えなくなった碑が神社の境内に移設された時には関係者によって盛大な式が行われたが、
神社の方の話ではそれ以降は何も行われていないとの事だった。今はまた忘れられた様にひっそりと建っている。
買い物帰りなど、たまにこの碑の横を通る事がある。
戦前、これだけの石碑を建立する気概のある人物が京都大学の図書館職員に居たのだ、と思うとふと立ち止まって見てしまう。

(2010.02.16 記)