上田敏が最期に読んだ本

上田敏 (1874-1916) の名前を知ったのは中学の頃、国語の授業で訳詩集「海潮音」を読んだ時だったと思う。
海潮音は翻訳詩の究極といってもいいと思うが、その上田敏が京都大学の教授として41歳の若さで没したと知ったのは随分後である。
上田敏は京都帝国大学文科大学西洋文学第二講座の教授だったが、大正5年7月尿毒症で亡くなった。
全集の年譜や、安田保雄著「上田敏研究」(1958) に拠ると8日午前9時、尿毒症を発して昏睡状態になり9日午後3時に逝去。
「臨終の際、枕頭にあった書物は1911年パリ版のフロオベルの「聖アントワアヌの誘惑」(Tentation de Saint Antoine) で、
その108-109頁が開かれてあった」らしい。調べてみると、京都大学文学部には1911年版「聖アントワアヌの誘惑」が所蔵されている。
上田敏が在職中に購入された本である。上田敏が最期に読んだ文章はどんなものだろう。そう思ってこの本を手に取ってみた。
すると、その109頁の端が小さく折られていたので少し驚いた。
UedaBin
上田敏がこの本を別に自蔵していたかも知れないし、後世に誰かが目印として折り曲げた可能性も十分にあるけれど、
この折り目は大変古く次のページとの隙間には埃が詰まっていて長い間折られたままであることがわかる。
もしかしたら上田敏が最期に折ったものがそのまま残っているのかもしれない。そう思うと、この折り目を広げてみる気にはなれなかった。

(2007.05.29 記)

「藝文」第7巻9号(大正5年9月)の故上田博士追想録の中にある、細田枯萍氏の「意思の人上田博士」に次のような一文があることを知った。
「発病少し前迄読んで居られた Flaubert の La Tentation de Saint Antoine の第109頁は今も尚 dog ear をした儘、私の手許に残っている。」
細田枯萍とは文学部英文学科を明治45年に卒業した細田秀造の事である。(後に実業界に転じたが当時は大谷大学等で教鞭を取っていた。)
葬儀の世話をした細田氏に上田の遺族が「聖アントワアヌの誘惑」を託したのだろう。
その本の109ページが折られていた、と言うから上記の本はまさしく上田敏が読んだ本そのものに間違いない。
ただ、折ったのは上田敏本人ではなく、彼の死を看取った家族ではないかと思う。
この本は8日の朝、読みかけのまま机の上に置かれていたものらしいが(山内義雄「晩年の上田敏先生」、四季 5号, 1947 所収による)
開かれたまま置いてあったのならページを折る必要は無いはずで、本を閉じた人が目印として折ったと考える方が自然である。
また上田が目印を折る癖があったのなら他のページに折り目があってもいいはずだが、そのような痕跡は見られない。
それはともかく、枯萍が「今も尚」と書いたのは8月、上田敏の没後一月ほど経った時だが、90年たった今も尚折られたまま残っているのだ。
あたかも上田に読み継がれることを待ち続けているかのように。

(2007.06.27 追記)