「新體詩鈔」(再版, 明治17年)表紙の裏張り

「新體詩抄」は明治15年に初編が出版された。続編は出版されていない。
撰者は外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎。出板人は丸家善七(井上は撰者兼出板人)である。
明治17年の再版(題箋、見返しの標題は「新體詩鈔」)が京都大学附属図書館に所蔵されている [請求記号 4-26/シ/2, 原簿番号 13092]。

表紙は縁の部分が擦り切れて見返しがめくれているので、表紙の裏張りに使用された反故紙が見える状態になっている。
反故紙は他の出版物の本文、1丁10行のウラ一面が使われていて、版心は切れていて判読できないが、それ以外は簡単に読める。
一行目は "ニ揚ルコトナク且希臘ノ聯盟ニ關カラザレバ"、最終行は "人ニ君タルノ器量ヲ備具セシカバ本践祚ノ正" とある。
文中には "馬基頓"(振り仮名:マセドン、マケドニアのこと)や、伊巴迷嫰達(振り仮名:イペミノンダス、古代ギリシャの将軍エパメイノンダス)などの語も見える。

おそらく古代ギリシャ史を扱った歴史書の翻訳だろう。調べてみると、「傑氏萬邦史略」の一部であることが判った。
「傑氏萬邦史略」は、松山棟庵がアメリカ人 "傑爾寧"(振り仮名はケルネイ)の原著を翻訳したもの。明治7年出版。
巻一の凡例によれば、古史を上編五巻、近史を下編十一巻として翻訳刊行するとされているが、上編5巻5冊のみの出版で、下編は出版されていない。

松山棟庵 (1839-1919) は明治時代の医者。出版当時は慶應義塾医学所校長。
原著は、M.J. Kerney の A compendium of ancient and modern history. Baltimore : Owen, Kurtz & co., 1845. だろう。
初版は1845年に出版されているが、改版も多く、松山が使用した版は特定できない。

「傑氏萬邦史略」は国会図書館デジタルコレクションで確認する限り、奥付はなく、第一巻見返しに "松山氏版" とあるのみで出版者が定かでない。
明治19年頃の中近堂(店主中島精一)の出版物に掲載されている発兌書籍目録には本書が掲載されていて、"初篇全二冊、二篇全三冊" とあるので、
福澤諭吉のもとで慶応義塾の出版物の売り捌きをしていた中島精一が、出版に関わった可能性があると思う。
なお、都倉武之 「福沢諭吉著作等の版木について -その現状と来歴-」 (MediaNet ; 17, p. 84-87. 2010) によると、
「傑氏萬邦史略」の版木(おそらく一部)が慶應義塾大学図書館に保存されている。

裏張りに使用されているのは、第二巻の丁36ウラ。普通、裏張りに使用されるのは反故紙である。
明治17年に出版された再版「新體詩鈔」の裏張りに使用されているので、その時点で不要になっていたはずだが、
明治19年の発兌書肆目録には価格も掲載されているので、絶版とかではなく、おそらく刷り損じだろう。

[2025.08.20 記]
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