原田由己は、原田淑人(考古学者、1885-1974)の父にあたる人物。
内藤智秀 「原田淑人博士の人柄とその学風」(聖心女子大学論叢 ; 45, p.9-13)によれば "漢学者"、
江上波夫編 「東洋学の系譜 第2集」 (1994) によれば "儒者" とされていて、
廃藩後は官途に就かず、立生塾という私塾を開いて漢学を業とした、とある。
「東京帝國大學五十年史 上册」 (1932) に転載されている 「昌平遺響」 に昌平黌の生徒として名があり、
「東京府学時第三十二年報」 (1906) の私立各種学校表には、立生塾(明治24年創立、学科は漢文)の校長として名がある。
調査したのは原田由己校正「標註文選正文」。国立国会図書館デジタルコレクション公開本。和装、十二巻序目一巻、13冊。
序目見返しは "校正標注文選正文"。第十二巻奥付は以下の通り。1丁の表ウラに亘っている。
版權免許 明治十四年八月廿三日
刻成出版 明治十五年十二月
水野書館藏 [角印:枩林堂藤岡屋幸]
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編輯人 東京府士族 原田由己 東京府下神田區小川町一番地
出版人 同平民 水野幸 仝日本橋區通油町十八番地
發兌人 同 水野慶治郎 仝所
發兌人 同 水野豐彦 仝所
發兌人 大坂府平民 小谷卯兵衞 大坂府下心齋橋通備後町
検印紙は奥付上部に貼られている。検印紙と印刷枠が区別しにくいが、割印の位置から判断すると、
渦巻き模様の枠内に貼られているように見える。
上部に "大日本帝國"、下部に "東京枩林堂"、右に "水野幸"、左に "眞版之章"、中央に "版權免許" とある。
割印は楕円印、判読できない。
藤岡屋は創業天保5年の地本問屋。代々水野慶次郎を名乗り、松林堂の商号も使った。
(奥付には慶治郎となっているが、多くの文献で慶次郎とされている。両方の表記があるようだ。)
「東京書籍商組合史及組合員概歷」 (1912) に拠れば "二代慶次郎ハ專ラ書籍ヲ出版シ、
教科書ノ翻刻及ビ取次販賣ヲナシ、明治十四年ノ頃、錦繪問屋ヲ廢ス。" とあるので、二代目慶次郎が水野幸だろう。
「原色浮世絵大百科事典3」 (1982) の版元一覧には "水野幸 水野幸吉か" とある。
アドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2026.01.10]
「標註文選正文 巻十二」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/895927]
[2026.01.30 記]
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