検印エピソード. 下田将美著「煙艸礼讃」(郊外社, 大正14年)

「書物展望」2巻12号 (1932.12) に、林茂夫が 「曝書・紙魚・書棚・檢印」 という一文を寄せている。
林氏については、同雑誌の寄稿内容から愛書家だろうと思うが、肩書が無く素性がよく判らない。
林は "心ある著者の檢印は奥附に必ず調和の風韻を示してゐる。" として、
優れた検印の例として、佐藤春夫の 「車塵集」、下田将美の「煙艸禮讃」を挙げている。これは是非見てみたい。

佐藤春夫著 「車塵集」 は、武蔵野書院から昭和4年に出版されている。
林は "「車塵集」の印は、「半窓花雨」と云ふ朱文だが、之は檢印紙を廢して直接木炭の用紙に捺したにも拘らず
良い肉を佳く吸収して、殆んどその風韻の極致を示したもの" と評している。
また、「自選佐藤春夫全集 第一巻」(1956) 巻末の堀口大学の解説によると、
「車塵集」は "本文色刷り罫線入り、九十三頁、こりにこった美本" とある。
残念ながら手近で現物を見ることができないので、国会図書館デジタルコレクションで確認した。
カラー画像で公開されていて、堀口の解説通りの美本である。装釘は小穴隆一氏。
だが、奥付を見てみるとページ上方、"著者檢印" と印刷された下に「藤春」の丸印が捺されているだけだ。
国会図書館所蔵本(基本的には納本されたもの)は通常押されている検印が無かったり、
一般に流通した本とは別印だったりすることもあるのだが、これもその類だろうか。
しかも、印影の右下部には大きな滲みがあり、少し雑に捺されたようにも見える。
"風韻の極致" と称された奥付だが、納本するものまでは気が回らなかったということか。
それが後年インターネット公開という形で、世界中の人の目に触れることになるとは想像できなかっただろう。

下田将美の「煙艸禮讃」は、郊外社から大正14年に出版されている。表紙のタイトルは 「煙艸礼讃」、奥付のタイトルは「煙草禮讃」。
下田将美 (1890-1959) は経済評論家。大阪毎日新聞社取締役、同主筆等を歴任した。随筆家でもあり、薔薇閑と号した。
林は "下田氏の檢印は「薔薇閑」だが之も亦勝れた印象が、ぴたりと呼吸を合せて奥附と親しんでゐた。" と評している。
これは現物を見ることができた。巻頭には蔵書票(Ex Libris)が刷り込まれていて、なかなか凝った造りの本だと思う。
奥付 を確認した。奥付の書誌事項の形式は平凡だ。検印紙は使用されておらず、押された検印「薔薇閑」は 56 × 21 mm. の長角印。
検印に使用された印章としては大型だが、"ぴたりと呼吸を合せて" いると讃えるほど趣のある奥付とは思えないのは私だけか。
なお、「煙草禮讃」は昭和22年、海口書店によって再版されている。その奥付には別の 「薔薇閑」の角印の押された 検印紙 が貼られている。

アドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2026.01.20]
「車塵集」. [国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/1177128 ログイン必要]

[2026.01.30 記]
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