關澄藏は「新潟大学医学部七十五年史」 (1994) 等に拠れば、生没年不詳、広島県士族。
独逸学協会会員、明治7年新潟県樹芸場技師、後に新潟農事試験場、新潟勧農場に勤務、新潟医学所も兼任した。
明治17年、太政官文書局一等属に転じ、ドイツ語資料の翻訳を行っている。
「幕末明治海外渡航者総覧」に拠れば1886年3月渡航、翌年7月帰国。
"酪農" という言葉は、彼が明治15年に出版した「農業捷徑」で初めて使用したとされる。
調査したのは關澄藏著「増補改正 小學農業捷徑」。和装、上中下巻、3冊。
近代教科書デジタルアーカイブで上巻が、国会図書館デジタルコレクションで中巻と下巻が公開されている。
どれも見返しには標題が無く "中近堂發兌書籍目録" が掲載されている。
中巻奥付は以下の通り。
明治十九年二月廾七日板權免許
同 年四月 出版
著者 東京府士族 關澄藏 麹町區下六番町四十八番地
出版人 東京府士族 中島精一 芝區三田四國町三番地
發兌 東京銀坐二丁目 中近堂本店
大坂備後町四丁目 中近堂支店
名古屋本町三丁目 中近堂支店
越中富山総曲輪病院前 中島出張店
上巻、下巻も奥付は同一(版面は異なる)で、検印紙は全巻とも奥付上部に貼られている。
中近堂から出版された 「新撰日本略史」(三版。明治19年12月)の奥付にも、同じ検印紙が貼られている。
こちらは国会図書館デジタルコレクションでカラー画像が公開されているので、以下はそれに拠る。
青色単色、都市の俯瞰が描かれ、中央やや上よりの楕円枠内に "S.I.NAKASIMA AND COMPANY"、㊥、"TOKIO JAPAN" とある。
割印は "中島精一" の菱形印。
絵はやや不鮮明だが、左奥に山、右奥から中央には湾があり帆船が浮かんでいる。手前に橋と建物があり、右上方には気球が見える。
19世紀前半頃の西洋の都市図を基にしたものだろう。参考となった原画があるはずだが、特定に至らない。
中近堂店主中島精一は、福澤諭吉のもとで慶応義塾の出版物を販売していた。
アドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2026.02.01]
「増補改正 小學農業捷徑 中巻」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/838612]
「新撰日本略史 三版 第二巻」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/11581949]
[2026.02.10 記]
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