東海散士については こちら も参照。
「佳人之奇遇」は、彼の代表的な政治小説。和装、八編、各編2巻で十六巻、16冊。
明治18年から30年にかけて断続的に出版された。
以下、基本的な事柄を大沼敏男・中丸宣明校注本(「新日本古典文学大系 明治編」 17. 2006)に従って示す。
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単行本初版の出版日付は以下の通り。
初編(巻一、二)明治18年6月25日版権免許、同年10月28日刻成出版。
二編(巻三)明治18年8月1日版権免許、19年1月13日刻成出版。
(巻四)明治18年8月22日版権免許、19年1月13日刻成出版。
三編(巻五)明治19年6月15日版権免許、同年8月3日刻成出版。
(巻六)明治19年6月15日版権免許、20年2月4日刻成出版。
四編(巻七)明治20年10月8日版権免許、同年12月24日刻成出版。
(巻八)明治20年12月14日版権免許、21年3月23日印行、同月24日刻成出版。
五編(巻九)明治24年11月9日印刷、同月24日出版(「23日」を朱印で修正)。
(巻十)明治24年12月8日印刷、同月9日出版。
六編(巻十一、十二)明治30年7月27日印刷、同月30日出版。
七編(巻十三、十四)明治30年9月11日印刷、同月14日出版。
八編(巻十五、十六)明治30年10月13日印刷、同月19日出版。
また、各巻には以下の違いがあるとされる。
・見返しの表記は「博文堂發兌」と「柴氏蔵版」との二種があり、いずれが早刷本かは不明。
・石版の挿絵が異なる版が複数ある。
・巻一から四までは再版本があり、若干の訂正、増補がある。
・巻五には本文の大きく異なる版がある。
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現物を確認、調査できたのは3部。仮に[A]本、[B]本、[C]本とする。
3部とも、康煕綴じ、表紙と見返し題は薄青色、天の綴じ糸に青糸の栞が結び付けられていて、装幀に目立った差はない。
挿絵の違い、再版本の違いについては検印紙とは直接の関係は無さそうなので、調査対象としなかった。
第五巻については、多くの箇所の相違が挙げられていて全てを確認していないが、
本文末尾は "愀然トシテ大息ス" と "愀然涙ヲ垂レテ大息ス" の違いがあり、後者が後印とされている。
確認したのは末尾のみだが、調査本は全て後印である。第九巻の出版日表示は朱印訂正ではなく、"廿四" と刷られている。
[A]本は以下の通り。
第一巻見返しは "東海散士著 初編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は無い。
なお、見返しの裏紙が確認できる。
1行目は一回り大きな活字で "子征凶。有所疑也。" [読み仮名、返り点があるが略]
2行目は "(釋義)此の爻、陽を以て陰に居り、小畜の終りにして、畜道己に成る、夫の陰の陽を畜むる、密雲にし"
確認できる最終行は釋義の15行目、 "疑ふ、是れ消長進退の關にして、君子の顧慮すべき所なるを謂ふなり、"
右下にはページ数 "六十六" がある。
これは、柳田幾作講述「卦象明辨 周易講義」(誠之堂)の66ページに完全に一致する。
「卦象明辨 周易講義」は、初版が明治31年10月10日、再版が明治33年12月に発行されている。
国立国会図書館デジタルコレクションで比較する限り、初版と再版の当該ページは全く同一で、どちらの版か判別できないが、
[A]本の少なくとも第一巻は明治31年以降に出版されたものである。
第二巻は見返し題なし。奥付は以下の通り。
明治十八年六月廿五日版權免許
同 十月廿八日刻成出版
同十九年三月一日再版御届
著者兼出版人 福島縣士族 柴四朗 東京市本郷區駒込富士前町十八番地
製本兼發賣所 博文堂 東京市神田區西小川町二丁目五番地
検印紙は貼られていない。
第三巻見返しは "東海散士著 貮編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は以下の通り。
明治十八年八月一日版權免許
明治十九年一月十三日刻成出版
同 年四月廿六日再版御屆
著者兼出版人 福島縣士族 柴四朗 東京市本郷區駒込富士前町十八番地
製本兼發賣人 東京府平民 博文堂 原田庄左衛門 東京市神田區西小川町二丁目五番地
検印紙は貼られていない。
第四巻は見返し題なし。奥付は以下の通り。
明治十八年八月廿二日版權免許
明治十九年一月十三日刻成出版
同 年四月廿六日再版御屆
著者兼出版人 福島縣士族 柴四朗 東京市本郷區駒込富士前町十八番地
製本兼發賣人 東京府平民 博文堂 原田庄左衛門 東京市神田區西小川町二丁目五番地
検印紙は貼られていない。
第五巻見返しは "東海散士著 三編 | 佳人之竒遇 | 東亰書林 博文堂發兌"。
本文末尾から、後印と判断できる。奥付は以下の通り。
明治十九年六月十五日版權免許
明治十九年八月三日刻成出版
著者兼出版人 福島縣士族 柴四朗 牛込區牛込早稻田南町三拾七番地
製本兼發賣人 東京府平民 博文堂 原田庄左衛門 亰橋區三十間堀二丁目一番地 [朱印: "檢印"]
検印紙
は奥付上部に貼られている。34 × 50 mm、版面 30 × 46 mm、ルレットあり、平版に見える。
淡小豆色単色、四隅と上下辺中央にアカンサス模様のある枠が描かれている。
中央にペン書きで "S.S."、"東海散士之印" の角印、右に "三篇" の楕円印、左に "六一" の角印。
割印は "檢印" の丸印が2つ。
"S.S." は柴四朗のイニシャルだろう。ペン書きのイニシャルと"東海散士之印" の角印は重なっている。
ペン字のインクの上に朱肉が乗っているように見えるので、押印が後と思われる。
第六巻見返しは白地、"東海散士著 三編 | 佳人之竒遇 | 東亰書林 博文堂發兌"。奥付は以下の通り。
明治十九年六月十五日版權免許
明治二十年二月四日刻成出版
著者兼出版人 福島縣士族 柴四朗 牛込區牛込早稻田南町三拾七番地
製本兼發賣人 東京府平民 博文堂 原田庄左衛門 亰橋區三十間堀二丁目一番地 [朱印: 博文堂發兌証]
検印紙
の貼付場所は同じ。中央にペン書きで "S.S."、"東海散士之印" の角印、右に "三篇" の楕円印、左に "六一" の角印。
割印は "檢印" の丸印が1つ。
第七巻見返しは "東海散士著 四編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は以下の通り。
明治二十年十月八日版權免許
明治二十年十二月廿四日刻成出版
著者兼出版人 青森縣士族 柴四朗 東京市本郷區駒込富士前町十八番地
製本兼發賣人 東京府平民 博文堂 原田庄左衛門 東京市神田區西小川町二丁目五番地
検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "四編之上" とある。
第八巻見返しは "東海散士著 四編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は以下の通り。
明治二十年十二月十四日版權免許
明治二十一年三月廿三日印行 定價金三拾五錢
明治二十一年三月廿四日刻成出版
著者兼發行者 青森縣士族 柴四朗 東京市本郷區駒込富士前町十八番地
發賣者 原田庄左衛門 東京市神田區西小川町二丁目五番地
印行者 安井臺助 東京下谷區阪本村二十一番地
検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "四編之下" とある。
第九巻見返しは "東海散士著 五編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は以下の通り。
明治廿四年十一月九日印刷
仝 年十一月廿四日出版
著作兼發行者 東京市本郷區神明町三百六十六番地 柴四朗
印刷者 仝市本郷區田町三十一番地 長坂熊一郎
大賣捌人 仝市神田區西小川町二丁目五番地 博文堂 原田庄左衞門
仝 仝市仝區裏神保町一番地 敬業社
仝 仝市日本橋區通四丁目 牧野善兵衞
上部に弧状に "版權所有" とあり、検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "巻九" とある。
第十巻見返しは "東海散士著 五編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は以下の通り。
明治廿四年十二月八日印刷
仝 年十二月九日出版
著作兼發行者 東京市本郷區神明町三百六十六番地 柴四朗
印刷者 仝市本郷區田町三十一番地 長坂熊一郎
大賣捌人 仝市神田區西小川町二丁目五番地 博文堂 原田庄左衞門
仝 仝市仝區裏神保町一番地 敬業社
仝 仝市日本橋區通四丁目 牧野善兵衞
上部に弧状に "版權所有" とあり、検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "巻十" とある。
第十一巻見返しは "東海散士著 六編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は無い。
第十二巻は見返し題無し。奥付は以下の通り。
明治三十年七月廿七日印刷
同 年七月三十日出版 定價金七拾錢
著作者兼發行者 柴四朗 東京市麴町區有樂町三丁目貳番地
印刷者 長阪熊一郎 東京市本郷區弓町壹丁目廿四番地
大賣捌人 東京市神田區西小川町二丁目五番地 博文堂 原田庄左衞門
同 同市日本橋區通壱丁目 大阪市心齋橋筋博勞町 青木嵩山堂
同 東京市京橋區鎗屋町十四番地 北隆館福田
上部に "版權所有" とあり、検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "十一 十二ノ巻奥附" とある。
第十三巻見返しは "東海散士著 七編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は無い。
第十四巻は見返し題無し。奥付は以下の通り。
明治三十年九月十一日印刷
同 年九月十四日出版 定價金七拾錢
著作者兼發行者 柴四朗 東京市麴町區有樂町三丁目貳番地
印刷者 長阪熊一郎 東京市本郷區弓町壹丁目廿四番地
大賣捌人 東京市神田區西小川町二丁目五番地 博文堂 原田庄左衞門
同 同市日本橋區通壱丁目 大阪市心齋橋筋博勞町 青木嵩山堂
同 東京市京橋區鎗屋町十四番地 北隆館福田
上部に "版權所有" とあり、検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "十三 十四ノ巻奥附" とある。
第十五巻見返しは "東海散士著 八編 | 佳人之竒遇 | 柴氏蔵版"。奥付は無い。
第十六巻は見返し題無し。奥付は以下の通り。
明治三十年十月十三日印刷
同 年十月十九日出版 定價金七拾錢
著作者兼発行者 柴四朗 東京市麴町區有樂町三丁目貳番地
印刷者 長阪熊一郎 東京市本郷區弓町壹丁目廿四番地
大賣捌人 東京市神田區西小川町二丁目五番地 博文堂 原田庄左衞門
同 同市日本橋區通壱丁目 大阪市心齋橋筋博勞町 青木嵩山堂
同 東京市京橋區鎗屋町十四番地 北隆館福田
上部に "版權所有" とあり、検印紙は貼られていない。なお、枠外右下に "十五 十六ノ巻奥附" とある。
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[B]本について。見返しと奥付が [A]本と異なる部分を挙げるが、巻末の広告等の相違点は略する。
なお、見返しの裏紙は、新聞の一部と思われ、縦3段、横22行分ほどが確認できる。
"佐藤大佐の奮戰" と題して、佐藤大佐が牛島少佐を率いて牛荘城を攻める様子が報告されている。
これは、日清戦争での牛荘作戦(明治28年3月4日)のことだろう。
今のところ新聞を特定できていないが、[B]本の少なくとも第一巻は明治28年以降に出版されたものである。
第一巻は相違点無し。
第二巻。
柴四朗の住所: "東京市本郷區駒込富士前町十八番地" → "神田區駿河臺東紅梅町拾五番地"、
博文堂の住所: "東京市神田區西小川町二丁目五番地" → "日本橋區久松町拾五番地"。
朱印: 無印 → 博文堂の元に "原田氏印" の丸印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。35 × 52 mm、版面 30 × 46 mm、目打ちがあり、左辺には 3.5 mm の耳紙がある。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、上に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第三巻。
見返し: "柴氏蔵版" → "東亰書林 博文堂發兌"、
柴四朗の住所: "東京市本郷區駒込富士前町十八番地" → "神田區駿河臺東紅梅町拾五番地"、
原田庄左衛門の住所: "東京市神田區西小川町二丁目五番地" → "日本橋區久松町拾五番地"。
朱印: 無印 → 原田の元に "原田氏印" の丸印。
第四巻。
柴四朗の住所: "東京市本郷區駒込富士前町十八番地" → "神田區駿河臺東紅梅町拾五番地"、
原田庄左衛門の住所: "東京市神田區西小川町二丁目五番地" → "日本橋區久松町拾五番地"。
朱印: 無印 → 原田の元に "原田氏印" の丸印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。36 × 51 mm、版面 30 × 46 mm、左辺と下辺に目打ちがあり、角孔に見える。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、左右に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第五巻。本文末尾から、後印と判断できる。
原田庄左衛門の住所: "京𣘺區三十間堀二丁目一番地" → "日本橋區久松町拾五番地"、
朱印: 原田の元に "檢印" の丸印 → "原田氏印" の丸印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。36 × 51 mm、版面 30 × 46 mm、目打ちがある。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、左右上に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第六巻。
見返し: 白紙 → 青紙、"三編" → "二編"、字のかすれには見えない。
原田庄左衛門の住所: "京𣘺區三十間堀二丁目一番地" → "日本橋區久松町拾五番地"、
朱印: 原田の元に "博文堂發兌証" の角印 → "原田氏印" の丸印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。35 × 50 mm、版面 30 × 46 mm、目打ちがある。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、右に "三篇" の楕円印、左に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第七巻。
見返し: "柴氏蔵版" → "東亰書林 博文堂發兌"、
柴四朗の住所: "東京市本郷區駒込富士前町十八番地" → "牛込區牛込東五軒町三拾九番地"、
原田庄左衛門の住所: "東京市神田區西小川町二丁目五番地" → "日本橋區久松町拾五番地"、
朱印: 無印 → 原田の元に "博文堂檢印" の楕円印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。34 × 50 mm、版面 30 × 46 mm、目打ちがある。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、左に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第八巻。
見返し: "柴氏蔵版" → "東亰書林 博文堂發兌"、
柴四朗の住所: "東京市本郷區駒込富士前町十八番地" → "東京牛込區牛込東五軒町三拾九番地"、
原田庄左衛門の住所: "東京市神田區西小川町二丁目五番地" → "東京日本橋區久松町拾五番地"、
朱印: 無印 → 原田の元に "原田氏印" の丸印。
検印紙
は奥付上部に貼られている。34 × 49 mm、版面 30 × 46 mm、目打ちがある。
中央に柴四朗のイニシャル "S.S." のペン書き、"東海散士之印" の角印、右に "四篇" の楕円印、左に "六一" の角印。割印は "檢印" の丸印。
第九巻。
奥付出版年の下: 定価表示なし → "定價金三拾錢"
"版權所有" の下: 無地 → 29 × 24 mm の楕円枠
検印紙
は残って居ないが、剥れた糊の跡が楕円枠の位置にあり、割印の左半が見える。角印、緑色、判読は困難。
この楕円枠は、[A]本の奥付には無い。([A]本第九巻奥付の同部分)
第十巻。
奥付出版年の下: 定価表示なし → "定價金三拾錢"
"版權所有" の下: 無地 → 29 × 24 mm の楕円枠(裏側から確認できる)
検印紙
は奥付上部の楕円枠上に貼られている。縁が波型の楕円形、32 × 27 mm、
深緑色の紙に赤で "SHIRO SHIBA | TOKYO | JAPAN" と印刷されている。
割印は角印、緑色、判読が難しいが右半は "S"。第九巻で確認できる左半と合わせるとこの印は "SS" だろう。
第十一~十六巻は相違点無し。
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[C]本。検印紙は全く貼られていないので、簡単に相違点を挙げるにとどめる。
奥付にある博文堂の住所は全て神田西小川町。
第一巻の見返し裏紙は学海指針社の「小學地理」の奥付が使用されている。
糊付けされていて一部分しか確認できないが、"明治三十三年" の日付が見える。
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以下、検印紙について気付いたことを記す。最初に方形の検印紙について。
印刷の色はやや紫色を帯びたものや褐色を帯びたものがある。経年変化には見えず、当初からの色違いと思われる。
周囲の飾り枠や、アカンサス模様の細部は微妙に異なるものがあり、複数の原版があると思われる。
目打ちは、ルレット、円孔、角孔のものがある。ルレットにみえるものは、角孔目打ちかも知れない。
「佳人之奇遇」は、刊行期間が長く、巻九の自序に "幾十萬ノ愛讀諸君" とある通り明治時代の大ベストセラーなので、
検印紙の総数は(すべてに検印紙が貼られているわけではないが)万を超えるだろうから、ヴァリアントも多いと思う。
"S.S." のサインは著者の自署だろうと思われるが、筆跡が少し異なるように見えるものがある。
多くの例を調べれば何かわかるかも知れない。なお、柴四朗のローマ字筆跡を見ることができていない。
検印に押された小さな "六一" 印は何だろう。
柳田泉著「政治小説研究 上」 (1935) 所収の 「『佳人之奇遇』と東海散士」 には、「佳人之奇遇」の序跋の筆者一覧があり、
巻五の序を書いた芳暉園主人は増島六一郎とされている。
増島六一郎 (1857-1948) は、法学者で英吉利法律学校(現中央大学)の創始者。
1887年、毛利甲斐守邸跡(現在の毛利庭園)を取得し芳暉園と名付けている。
他に "六一" の印を使いそうな関係者は居らず、名前以外の何等かの符合印とも思えないが、
増島が序を書いていない巻にも(時には複数の)検印を押す理由も判らない。
博文堂の住所が同一日付の同じ巻でも調査本によって異なるのは、後刷りの時期によって店舗の住所が変わっていたためだろう。
稲岡勝の「原田博文堂の事業失敗と再興の歩み」(書物・出版と社会変容 ; 20, p. 79-114. 2016)は、博文堂の活動時期を
武州忍時代 [明治2~11年]、東京本郷元町時代 [明治11~18年]、日本橋久松町時代 [明治18~21年]、
京橋三十間堀時代 [明治21年11月~22年10月]、京橋南鍋町を経て神田西小川町 [明治22年10月~34年5月] に分けている。
明治18年以降の博文堂の住所を出版物の奥付等で確認すると、下記の通りで稲岡の区分と概ね一致する。
本郷元町一丁目五番地(明治18年3月頃まで)
日本橋区久松町十五番地(明治18年12月頃から21年8月頃)
京橋三十間堀二丁目一番地(明治21年11月頃から22年7月頃)
京橋南鍋町二丁目四番地(明治22年11月頃から23年2月頃)
神田西小川町二丁目5番地(明治24年8月頃から30年代半ばまで)
「佳人之奇遇」は国立国会図書館デジタルコレクションと、早稲田大学図書館古典籍総合データベースでも各巻の奥付が確認できる。
以下に出版日付、博文堂の住所、サイン、検印紙に捺された印を簡単に記す。
方形の検印紙が確認できるのは、国会図書館公開本では以下の巻。("東海散士之印" は全てに押されているので略)
第4巻: 明治19年4月26日 [再版御届]、京橋区三十間堀。"S.S."、"二篇"、"六一"[1個]、"原田檢印"。
第6巻: 明治20年2月4日、京橋区三十間堀。"S.S."、"三篇"、"六一" [1個]、"原田檢印"。
第7巻: 明治20年12月24日、日本橋区久松町。"六一" [4個]、"檢印"。ペン書きのサインがあるが、判読できない。"S.S." ではなさそう。
早稲田大学図書館古典籍総合データベースでは以下の巻。
第2巻: 明治18年10月28日、日本橋区久松町。"S.S."、"檢印"。鉛筆書き?のサインもある。"K ●hiba" と読める。
第4巻: 明治19年1月13日、日本橋区久松町。"S.S."、"檢印"。
第5巻: 明治19年8月3日、日本橋区久松町。大半が剥落している。丸い検印がある。
第6巻: 明治20年2月4日、日本橋区久松町。"S.S."、"六一" [3個]、"檢印" は緑色。
第7巻: 明治20年12月24日、日本橋区久松町。"S.S."、"四篇"、"六一" [1個]、"檢印"。
第8巻: 明治21年3月24日、日本橋区久松町。"S.S."、"四篇"、"六一" [1個]、"檢印"。
方形の検印紙が貼られているのは日本橋久松町時代と京橋三十間堀時代、明治18~22年の間に限られるようだ。
柴の住所も幾度か変わっているが、転居の時期を特定できなかった。
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楕円形の検印紙が確認できるのは、国会図書館公開本では以下の巻。
第2巻: 明治19年3月1日 [再版御届]、神田区西小川町。
第5巻: 明治19年8月3日、神田区西小川町。
第9巻: 明治24年11月24日、神田区西小川町。
第10巻: 明治24年12月9日、神田区西小川町。
早稲田大学図書館古典籍総合データベースでは以下の巻。
第9巻: 明治24年11月24日、神田区西小川町。
第10巻: 明治24年12月9日、神田区西小川町。
すべて、神田西小川町時代、明治24年以降の使用なので、方形印紙より後である。
なお、この検印紙は東海散士編「埃及近世史」(明治22年11月17日出版)でも確認できる。
奥付にある博文堂(発売所)の住所は京橋区三十間堀二丁目一番地、
国会図書館デジタルコレクション公開本 (776473) には "明治二三・二・一四 民贈" の受入印が押されているので、
柴は明治22年末頃にはこの検印紙を使用していたと思われる。
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第9、10巻(第五編)[A]、[B]、[C]本の博文館の住所は神田区西小川町だが、[A]本には検印紙が貼られていない。
そして、検印紙が貼られている[B]本には、貼付場所を示す楕円枠が印刷されているが、[A]、[C]本には無い。
どちらが後刷りだろうか。
[A]、[B]、[C]本の第9巻の見返し裏張りを確認することができた。
[A]本の裏張りは新聞の広告欄と思われ、"明治三十年十一月廿五日 醫學得業士 澤田定信" の文字が読める。
[B]本の裏張りも、新聞記事の一部で、"五月二十二日" 付の商況物価があるが年がわからない。
隣の記事では "小山足利間の假開業式を" の字句が読める。
両毛線の小山足利間開通(明治21年5月22日)に関する記事だとわかる。
[C]本の裏張りは学海指針社の「小学国語読本高等科」の奥付が使用されている。
年を確認できないが、初版が明治33年に出版されている。
楕円枠の無い[A]、[C]本が、明治30年以降の製本なので後刷りだろう。
その頃には既に検印紙の貼付はされなくなっていて、楕円枠も消されたのだと思う。
なお、大沼敏男・中丸宣明校注本(「新日本古典文学大系 明治編」 17)には、
見返しの表記の「博文堂發兌」と「柴氏蔵版」は、どちらが早刷本かは不明、とされている。
第七巻 [A]本、[B]本はそれぞれ、
[A]本: "柴氏蔵版"、博文堂の住所は "東京市神田區西小川町二丁目五番地"、(明治24年以降の住所)
[B]本: "博文堂發兌"、博文堂の住所は "日本橋區久松町拾五番地" (明治18~21年の住所)
博文堂の住所の変遷から考えると、"柴氏蔵版" 表記の方が後のはずである。
参考アドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2026.02.28]
国立国会図書館デジタルコレクションは多巻に亘るので初編のみを挙げる。
「佳人之奇遇 初編」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/885873 ログイン必要]
「佳人之奇遇」.
[早稲田大学図書館古典籍総合データベース リンク先 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he14/he14_00191/index.html]
[2026.03.10 記]
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