青木港三郎の経歴を知ることができなかった。明治16年2月出版の「改正栃木縣地誌略字解」の奥付に拠れば栃木県平民。
その後東京に移り、字引類をいくつか出版しているのが明治20年頃まで確認できる。
調査したのは「普通讀本字引」。和装、1冊。
見返しは "高橋熊太郎閲 | 靑木港三郎編 | 普通讀本字引 | 版權所有 集英堂藏版"。
奥付は以下の通り。
明治二十年九月五日版權免許
仝 年仝月 出版 定價金拾五錢
編輯人 東京府平民 青木港三郎 日本橋區弥生町七番地
出版人 東京府平民 小林八郎 日本橋區通旅籠町十一番地
發兌
東京日本橋區通旅籠町十一番地 集英堂本店
栃木縣下宇都宮大工町四十一番地 同第一支店
大阪東區博勞町四丁目十五番地 同第二支店
検印紙
は奥付上部に印刷された枠内に貼られている。26 × 27 mm、版面 24 × 25 mm、黒色単色、丸孔目打ちあり、平版に見える。
上部に "東亰書肆"、下部に "集英堂"、右に "小林八郎"、左に "真版之証"、中央に "版權免許" とある。割印は丸印、判読できない。
小林八郎は集英堂の創業者。教科書疑獄事件にも関与した。
娘の孝子が40歳以上年上の宮内大臣田中光顕と結婚していて、「小林孝子懺悔秘話」 (1930) が面白い。
それに拠れば八郎は "明治十八年頃、宇都宮の某鑛山家に養子に行った" とある。
八郎は明治8年頃には集英堂として栃木倭町二丁目で出版活動をしていて、明治13年頃まで山中姓(栃木県平民)だが、
明治14年の奥付のある「萬国史略字解」では小林姓を名乗り、"静岡県士族" となっている。
[2026.03.15 記]
All rights reserved. Copyrighted by Masanori Kutsuna, 2026.