初期検印紙調査メモ. 大郷穆編次「明治新刻 日本政記」(東生書館, 明治11年版権免許)

大郷穆(号:学橋, 1830-1881)は幕末・明治の儒者。
昌平校に学び、維新後は大蔵省に出仕した。(前川幸雄. 仁愛大学研究紀要人間学部篇 ; 8, p. 85-92. 2009. に拠る)

調査したのは大郷穆編次「明治新刻 日本政記」。
和装、17巻10冊。第一冊見返しの表示は "學橋大郷穆編次 | 明治新𠜇 | 日本政記 | 版權免許 明治十一年十月卅日 東生書館藏"。
右下部に "改題御届明治拾弐年七月弐日" の楕円の印影が刷られている。第十冊巻末にある奥付は下記の通り。
版權免許 明治十一年十月三十日 [印]改題御届明治拾弐年七月弐日
編輯人 石川縣士族 大郷穆 東京神田區駿河臺南甲賀町八番地 [印]大郷之印
出版人 東京府平民 東生龜治郎 同日本橋區通旅籠町貳番地 [印]萬巻樓記
奥付の印影は全て刷られたもの。改題届印は見返しとは異なる角印となっている。
検印紙 は第一冊、扉の右上部に貼られている。26 × 26 mm.、版面 24 × 24 mm.、目打無し、凹版印刷と思われる。
藍色単色、四隅に桐紋があり、中央に "葵華書屋檢閲之章" とあり、楕円の割印(判読できない)が押されている。
"葵華" はおそらく大郷穆の別号。大郷が生前に出版した著作には "葵花書屋藏" あるいは "葵華書屋藏" と記されているものが多く、
没後出版された「學橋遺稿」 (1887) の扉にも "葵華書屋藏" とある。

奥付には版権免許日はあるが、出版日の記載がない。
国会図書館、CiNii 共に、扉や奥付にある版権免許の日付、明治11年 (1878) を出版年としている。
だが、冒頭にある秋月種樹と重野安繹の序の日付は明治12年6月、
また、改題届が明治12年7月2日とあるので、明治12年7月以降の出版であることは間違いない。

大郷穆の「日本政記」には内容の異なる2種の版が確認できる。
両者ともに同じ検印紙が貼られているので、ここでは版違いの存在は主な関心事ではないが、
折角なので仮に[A版]、[B版]と呼ぶことにして簡単に記述する。[A版]、[B版]共に17巻10冊で、本文版面に異なる点はない。
[A版]は国立国会図書館デジタルコレクション、蔵書印「教育博物館印」が押されているもの、
[B版]は国立国会図書館デジタルコレクション、蔵書印「東京圖書館藏書之印」が押されているものに拠った。
調査した実物は京都大学所蔵本。欠本があるが、[A版]と同一である。

[A版]. 第一冊は以下の通り。
表紙: 藍色。題箋 "明治新刻 日本政記 大郷穆編次 第一冊"、目次題箋あり。
見返し: 赤紙. 墨刷。"學橋大郷穆編次 [改題御届明治拾弐年七月弐日] | 明治新𠜇 日本政記 | 版權免許 明治十一年十月卅日 東生書館藏"。
扉: 朱刷。"朙治新𠜇 日本政記" [日の字は口の中に正]、右上に検印紙。
扉ウラ: 朱刷。"大日本帝國武蔵囶東京府下書肆萬巻樓東生氏刊行之記"。
丁1-2: 前田齋泰による題字。丁1には "明治十年三月出版 國史略 全七冊" の広告紙片が貼付されている。
丁1-4: 日本政記序 / 秋月種樹撰、綱川晃南盥書。日付は "明治十二年六月"。
丁1-7: 新𠜇日本政記序 / 重野安繹撰、万菴市河三兼書。日付は "明治十二年六月"。
丁1-2: 叙 / 大郷穆撰。日付は "明治十二年五月"。
丁1-3: 凡例。丁3ウラには何も書かれていない。
丁1-6: 目次。首巻、皇統繼承略圖、將軍紹襲略誌附、國郡沿革略圖、巻之一 神武天皇 [天皇23代列挙] 武烈天皇 から 巻之二十三 今上 まで。
[丁1]: "皇統繼承略圖 將軍紹襲略誌附"。
丁1-23: 皇統繼承略圖。
丁1-2: 將軍紹襲略誌。
丁1-24: 囶郡沿革略圖。
丁1-48 : 巻之一。
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最終冊(第十冊)は以下の通り。
丁1-84: 本文 「後陽成天皇」、最終丁に "書肆鋟版之擧甚急。而原稿校訂不暇應之。今從其所成而發行焉。其餘不出旬月必竣功。觀者諒之。"
丁1-7: 奥付。丁1表は前掲の通り。丁1ウラから丁7表までが "諸國發行書肆"、丁7ウラと裏表紙見返しが "三府發行書肆" の一覧。
裏表紙見返しのノド下部に "製本方 高橋作太郎" の朱印がある。
全冊に目次題箋があり、版心には上部に"日本政記"、下部に "萬巻樓藏版" とある。

[B版]. 第一冊は以下の通り。
表紙: 藍色。題箋 "明治新刻 日本政記 大郷穆編次 第一冊"、目次題箋なし。
見返し: 黄紙. 墨刷。"學橋大郷穆編次 [改題御届明治拾弐年七月弐日] | 明治新𠜇 日本政記 | 版權免許 明治十一年十月卅日 東生書館藏"。
 "萬巻樓東生書館刊製本之章" 印が押されている。紙は現在はくすんだ黄色に見えるが、退色かも知れない。
扉: 墨刷。"朙治新𠜇 日本政記" [日の字は口の中に正]、右上に検印紙。
扉ウラ: 墨刷。"大日本帝國武蔵囶東京府下書肆萬巻樓東生氏刊行之記"。
丁1-3: 日本政記序 / 秋月種樹撰。日付は "明治十二年六月"。[A版とは異筆]
丁1-4: 新刻日本政記序 / 重野安繹撰。日付は "明治十二年六月"。[A版とは異筆]
丁1-3: 新刻日本政記序 / 柳澤信大撰。日付は "明治庚辰三月己丑"。[明治13年3月1日]
丁1-2: 叙 / 大郷穆撰。日付は "明治十二年五月"。
丁1-3: 凡例。丁3ウラに "右例言所陳皇統畧系。國郡沿革略圖。以紙數繁多。不便被閲。分爲別本。覽者諒焉。書肆某謹言"。
丁1-4: 目次。巻之一 神武天皇至武烈天皇 から 巻之二十三 今上 まで。
丁1-48 : 巻之一。
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最終冊(第十冊)の本文、奥付は[A版]と同一。裏表紙見返しのノドには製本者の朱印無し。
目次題箋は全冊無し。版心には上部に"日本政記"、下部に "萬巻樓藏版" とある。

教育博物館旧蔵の[A版]には "明治十二年九月廿七日購入" の印があり、
[B版]は、柳澤信大の序の日付から、出版は明治13年3月以降、また凡例末の添書に沿革図は別にする、とあるので、
首巻の大部分を略した後刷りだと判る。別冊として出版された沿革図は確認できていない。

また、どちらも目次は巻23の今上(明治)天皇まであるが、本文は巻17の後陽成天皇で終わっている。
本文末に、原稿が間に合わなかったが残りは必ず出版する旨の添え書きがあるのだが、出版を確認できない。

そして、これと本文の版面が同一の大郷穆編次「日本綱記」なる本がやはり東生書館から出版されている。
17巻10冊、見返しは "學橋大郷穆編次 | 明治新𠜇 日本綱記 | 版權免許 明治十一年十月卅日 東生書館藏"。改題届印はない。
[A版]と比較すると、扉、題字、重野安繹の序が抜けている。
また、外題や目録題、首題などの内題は全て「政記」が「綱記」に変更されている。
綱川晃南の筆になる序も、同じ書体で「政」が「綱」に書き換えられている。
さらに 版心書名の「日本政記」の部分は全体が黒くベタ刷りされている。
そして見返しと奥付に [改題御届明治拾弐年七月弐日] の印影が無く、奥付は丁2-7が無い。
これにも出版年の表示が無いので、各版の出版順序が判らないが、「日本綱記」には改題届の表示が無いので、
「日本綱記」→「日本政記A版」→「日本政記B版」だろうと思う。
確かに、「圖書課書目 納本之部 中」(内務省總務局圖書課, 1886. 明治前期書目集成 第5分冊, 1972 に拠る)では、
「日本綱記」の刊年は明治11年、「日本政記」の刊年は明治12年となっている。
そうだとすると、「日本綱記」は版心書名が彫られる前に刷られ、その後に全ての版木に版心書名を彫り「日本政記」が刷られたのだろうか。
また、「日本綱記」の奥付は丁2-7が抜けているために書肆一覧の住所がうまく繋がらない。
これは、当初から奥付は丁7まであったことを示すだろうから、一番最初に出版されたはずの「日本綱記」に無いのは不自然だ。

では「日本政記A版」→「日本政記B版」→「日本綱記」か。それなら版心書名は入れ木されたことになるだろう。
しかし、明治27年2月に博文館から再版された「日本政記」の版心は "萬巻樓藏版" の文字は削られているが、[A版][B版]と同一の版心書名がある。
「日本政記B版」、「日本綱記」、博文館版「日本政記」はインターネット公開の画像による比較なので、細部の検討ができていない。

なお、頼山陽の著作に同名の「日本政記」があり、彼の死によってやはり後陽成天皇までで終わっている。
関連については調査していないが、内容は異なっている。

国会図書館デジタルコレクションの各資料アドレスは下記の通り。[B版]の閲覧にはIDによるログインが必要です。[最終閲覧確認日: 2025.07.30]
日本政記[A版]第一冊. [リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/1244696]
日本政記[A版]第十冊. [リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/1244730]
日本政記[B版]第一冊. [リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/11582015]
日本政記[B版]第十冊. [リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/11582025]
日本綱記第一冊. [リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/770709]

[2025.08.03 記]
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