検印エピソード. 中村光夫著「中村光夫評論集」(昭和11年)

中村光夫(1911-1988) は文芸評論家、作家。
「今はむかし : ある文学的回想」 (講談社, 1970。中央公論社から再刊, 1981) の150~153ページに、検印にまつわるエピソードがある。

昭和11年、芝書店から二葉亭四迷論の本を出すことになり、青山二郎氏に装釘を依頼し、「二葉亭論」ができあがった。発行部数は500部。
[以下枠内引用]
検印紙がないから、本にじかに判をおしてくれというので、わざわざそのためにつくらせた判を持って、いわれた時刻に書店に行くと、
取り次ぎ店からせかされたので、ありあわせの判をおしてだしてしまったといって、駅で売っているような木の判をわたされました。
むろん、そう売れる性質の本ではないし、部数をごまかすはずはないでしょうが、そういうことより、馬鹿にされた不快はどうにもなりません。[中略]
二月か三月して、印税をもらう期限がきても、一向音沙汰がないので、催促に行きました。[中略]
二三度足を運んで、やっと半分もらいました。
「群像」昭和42年1月号に寄稿された「二葉亭論」(中村光夫全集 第14巻. 筑摩書房, 1973 所収)にも同じエピソードがある。
検印紙を送るのはてまだから、店にきて直接奥付に判をおしてほしいといふことなので、
わざわざつくらせた判を持って指定された時間に芝書店に行くと、店主の芝隆一氏に、
配本を急ぐ都合で、検印は此方でしたから、といって、駅の売店で売ってゐやうな木の判を渡されました。[中略]
ただ処女出版の奥付に、他の著書とちがった安判がおされてゐる理由を、当時の文壇の新人が、
世間からどうみられてゐたかを示す一例として書いておくまでです。
検印紙が無かったのか、送るのが手間だったのか、どちらが真実に近いのかわからないが、500部程度なら奥付に押す作業もそれほど大変ではないだろう。
中村は、「中村光夫評論集」を昭和11年にを芝書店から出版していて、「永井荷風論」「漱石私感」「二葉亭四迷論」を収めている。
文中のタイトルとは異なるが、背表紙には「二葉亭論」とあり、冒頭には "装幀 青山二郎" とあるので、この本で間違いない。
奥付を見てみると、"昭和十一年十月廿三日發行、定價壹圓二十錢" とある。
そして確かに三文判のような "中村" の印が奥付紙葉に直接押されている。
検印作業は一般にはかなり厳密に行われていたはずだが、中にはいい加減に済ませて著者を困らせる出版社もあったようだ。

[2025.08.14 記]
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