検印エピソード. 太宰治著「晩年」(昭和11年)

尾崎一雄著「わが生活わが文学」(池田書店, 1955)に、太宰治が「晩年」を出版した際の検印にまつわるエピソードがある。
太宰の処女短編集である「晩年」は、昭和11年6月に砂子屋書房から出版された。
砂子屋書房は、尾崎の早稲田時代の級友である山崎剛平が創めた出版社である。

「近代文学館 : 名著複刻全集. 作品解題 昭和期」(1969) の解説によれば、昭和10年11月に出版されることに決定、
太宰は装幀に細かい注文を出し、なかなか捗らない刊行を一日千秋の思いで待ったとされている。
なお、この解説には「晩年」初版は600部と伝えられている、とあるが、
「わが生活わが文学」には、"菊判、フランス装、九ポ組で二四二頁、定価2円、初版一千部"、
"当時装幀に凝っていた山崎と、気取り屋の著者のやることで ... 表紙や見返しには極上の模造紙と局紙を使った。" とある。
[以下枠内引用]
この本が製本屋から届くと、早速太宰君を呼び、山崎、私の三人で一冊ごとに検印を捺した。
検印紙を使はず、直接奥付に捺したのである。一人が奥付のところをめくり出す、
一人が印を捺す、一人が十冊づつ揃へて積み上げる、といふやうな作業を、
鼻唄交りで時に軽口を飛ばし、時にはみんな手を休めて本をひねくり「よく出来たね」などと云ひながら、やってゐた。[中略]
[太宰は] 本が出来て嬉しさうだった。
「晩年」の奥付には、"太宰" の楕円印が直接捺されている。
1000部程度なら、検印作業も一日で済むだろうから、それほど苦ではないだろう。しかも処女短編集。
太宰の妻、津島美知子の「回想の太宰治」には、検印作業は "私の仕事" と書かれているので、
作品が売れるようになってからは人任せにしていた捺印も、楽しい作業だったに違いない。

[2025.08.20 記]
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