森鷗外著 「水沫集」 と鷗外が捺した検印

小宮山天香が鳳文館と結んだ出版契約書が発見されるまで、印税制度の始まりを森鷗外の 「水沫集」 とする説が一般的だった、
と布川角左衛門著 「本の周辺」 (日本エディタースクール出版部, 1979) には書かれている。
一例として 「日本出版百年史年表」 (日本書籍出版協会, 1968) の、1892年7月の項目の説明を挙げる。
森鷗外、春陽堂で 《水沫集》(美奈和集)を出版するにあたり、印税制を主張し、25%の印税をうけることにする(わが国における印税制の始という)
鈴木敏夫著 「出版 : 好不況下興亡の一世紀」 (新訂増補版. 出版ニュース社, 1972) には、水沫集の奥付について次の様に記している。
これまで印税、検印制度の創始者と見られていた、鷗外・森林太郎の問題の書明治二五(一八九二)年七月刊の 「水沫集」 の場合、
後見返しに、奥付記載事項とともに 「権所有」 [ママ、正しくは版權所有] と上部に印刷、その下にカザリケイで二重に囲んで
著者捺印用の四角い欄を刷りこみ、二本のケイの内側には 「此欄内に著作者の印章捺印なき者は偽版也」
と小さな活字で刷りこんであります。鷗外はその中に林太郎と彫った丸印をジカに押した。
「水沫集」 の奥付に捺された 検印 を確認した。鈴木の記述どおりで、丸印は径13ミリ、"林太郎" と彫られている。

鷗外が使用した印章については、中井義幸編 「鷗外印譜」 (青裳堂, 1988) が詳しく、蔵書印など45種の印が掲載されている。
文京区立森鷗外記念館のコレクション展 「鷗外の印」 (2014.11.29-2015.1.25) のパンフレットにも "現在確認されている鷗外生前の印影は45種類" とある。
「鷗外印譜」 では、掲載の印に番号が振られていて、"林太郎" の番号は13、"「水沫集」 の印税の検印にも用いられている" と解説されている。

鷗外は生涯で複数の印を検印に使用している。上記 "林太郎" 以外の主なものを挙げる。("印譜番号" は 「鷗外印譜」 で振られた番号)
"RM": 印譜番号15。「月草」 (春陽堂, 1896.12) より。高さ16ミリ。森林太郎 (Mori Rintaro) のイニシャル。1890年代から1900年代初まで使用例がある。
"鷗外漁史": 印譜番号28。「うた日記」 (春陽堂, 1907.9) より。高さ20ミリ。1900年代中頃に見られる。
"千朶山房": 印譜番号39。「諸国物語」 (国民文庫刊行会, 1915) より。高さ約12ミリ。1890年頃の千駄木の鷗外の居宅に由来し、1910年代から使用されている。
"森": 印譜番号40。「黄禍論」 (春陽堂, 1904.5) より。高さ14ミリ。一般的な丸印。1900年代から晩年まで使用されている。

晩年の著作には "千朶山房" が使われていることが多い。他の印と使用時期が重なることもあるが、厳密な使い分けは無さそうだ。
"森" は事務的な認印だが、それ以外の印は検印用、あるいは蔵書印などの雅印として彫られたものだろう。
「鷗外印譜」 には、上記印の他に "森" の角印が収録(印譜番号41)されていて、「かのやうに」 の初版に検印として使用されている、との説明がある。
「かのやうに」 は1914年4月5日、籾山書店発行。現物を見ることができなかったので、国会図書館デジタルコレクションで同書初版の奥付を確認した。
公開されている資料は標題紙に "大正 3.4.11 内交" の楕円印がある内務省交付本。捺されているのは "森" ではなく、"千朶山房" だった。
内務省交付本とは、内務省から帝国図書館(前身は東京図書館)に移管された図書のこと。
1945年の終戦まで、国内で出版された図書は内務省に納本され、その内の1部が帝国図書館に移管されていた。
この移管本には "内交" の印が捺されていて、現在は国会図書館の蔵書として引き継がれている。
"森" と "千朶山房" のどちらが 「かのやうに」 の検印として一般的なのか、他の例を見ていないのでわからないが、
おそらく一般に流通したものは "森" の角印が捺されているのだろうと思う。

他にも調査本(主に京都大学所蔵本)と国会図書館本で違う印が押されているものがあるのか気になったので調べてみた。
すると、"RM" の印が捺されている 「かげ草」 (春陽堂, 1897) は、国会図書館本では無印だった。
同書の奥付には、「水沫集」 と同じく "此欄内に著作者の印章捺印なき者は僞版也" と書かれた枠が印刷されている。
もちろん、国会図書館本がニセ物、という訳ではない。この本は販売用とは別に、鷗外の検印作業を通さずに納本されたと思われる。
「かのように」 に異なる印が捺されているのは、おそらく納本用と販売用が別々に鷗外の元に届けられたからだろう。

そして、普通は "林太郎" が捺されているはずの 「水沫集」 も、国会図書館本の検印は異なっていた。
国会図書館デジタルコレクションで確認できる 奥付 には、やや不鮮明だが "森鷗外之章" と読める大型の角印が捺されている。
この印は 「鷗外印譜」 にも掲載されていないので、文京区立森鷗外記念館に問い合わせてみた。
記念館が所蔵する初版本に捺されているのも "林太郎" で、初版以降の各版にも一致する検印は見当たらない、との回答だった。
おそらく、この検印が捺されているのは国会図書館本だけだろう。

鷗外の末弟に近世文芸史研究者の森潤三郎がいる。潤三郎は1879年生まれで鷗外とは17歳離れている。
早稲田大学卒業後、東京帝国大学史料編纂掛、京都府立京都図書館などに勤務し、いくつかの著作がある。
潤三郎は後年 "潤" の角印を検印としている。(「紅葉山文庫と書物奉行」 (昭和書房, 1933) より)
しかし、潤三郎が24歳で出版した 「朝鮮年表」 (春陽堂, 1904) では "森" の丸印を使用している。

潤三郎が捺している森の丸印は、鷗外が使用した丸印と同形同大で、印影も区別がつかない。
当時まだ早稲田大学在学中だった潤三郎が、鷗外が使用していた印(おそらく森家の認印だろう)を使用したのかもしれない。

[2025.05.14 記]
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