初期検印紙調査メモ. 頒暦証(明治10~17年)
明治初期に政府が刊行した暦には印紙が貼られている。「日本印紙類図鑑 1981年版」 に拠れば、
この印紙は "官版であることの証明と頒暦商社をして合同せしめ、遂には暦の発行権を政府の手中に納める一手段であった。"
頒暦商社は、明治6~16年にかけて官版の暦を独占的に頒布する権利が与えられていた。
2種の印紙の実物を確認できた。名称は上記図鑑(以下、"図鑑" と言う)に拠る。
「頒暦証」
図鑑によれば、1876年10月17日発行、明治10~14年暦用。
本暦(冊子)用と、略暦(1枚もの)用の2種類があり、略暦用は同じデザインで一回り小型である。
確認したのは「神武天皇即位紀元二千五百四十二年 明治十五年曆」。
奥付には "明治十四年頒行 | 内務省"、裏表紙には "頒曆社 | 社長 林立守" とあり、"社員 大坂 松浦善右衛門" の朱印がある。
印紙
は表紙のタイトル右上部に貼られていて、本暦用。大蔵省紙幣寮製。
縦長方形、28 × 26 mm.、版面 25 × 22.5 mm.、青色単色、目打ちがある。図鑑に拠れば凸版。
経緯線と "頒曆證" と書かれた地球と、赤道部分を取り巻く帯には十二支の動物である鼠、牛、虎、兎、龍、蛇が描かれている(残りは裏側のため隠れている)
割印は "頒曆社印" の楕円印。
明治9年10月17日付の内務省布達甲第三十九号に、"來明治十年曆ヨリ本曆略曆共別紙雛形印紙貼用可致候" とあり、
国会図書館デジタルコレクションでは「明治十年太陽略曆」に貼られているのが確認できる。
図鑑には使用は明治14年暦までとあるが、確認した通り明治15年暦でも使用されている。
「神宮司庁頒暦証」
図鑑によれば、1882年発行、明治16~17年暦用。これも本暦(冊子)用と、略暦(1枚もの)用の2種類がある。
確認したのは「神武天皇即位紀元二千五百四十三年 明治十六年曆」。
奥付には "明治十五年頒行 | 内務省 | 神宮司廳頒曆局 | 頒曆製造御用 | 林組長 | 林立守" とあり、"組員 松浦善右衛門" の朱印がある。
印紙
は表紙のタイトル右上部に貼られていて、本暦用。大蔵省印刷局製。
縦長方形、28 × 26 mm.、版面 25 × 22.5 mm.、青色単色、目打ちがある。図鑑に拠れば凸版。
四隅に太陽、月、星座、上下右左に "神宮"、"司廳"、"伊"、"勢" の文字、二重丸枠内に十二支の動物を反時計回りに配し、中央に "頒曆証" とある。
割印は "林組消印" の楕円印。
神宮司廳と伊勢の名称が入れられたのは、明治15年4月26日付の太政官布達第八号の
"本曆並略本曆ハ明治十六年曆ヨリ伊勢神宮ニ於テ頒布セシムヘシ" を受けてのことだろう。この印紙は明治18年には廃止された。
なお、「印刷局沿革録」(1907) には、明治9年8月7日に "頒暦證原版落成ス" として 「神宮司庁頒暦証」 の図が、
明治15年8月に "改正頒暦證原版落成ス" として 「頒暦証」 の図が挙げられているが、明らかに逆である。
この証紙は政府(内務省)が出版したものであることの証明なので、検印紙とは性格が異なるが、
出版物(刷り物)に紙片を貼ることによって、その出自や内容を証明すると同時に発行部数の確認ができる、という点は類似している。
これは後の検印紙につながるものの一つでないかと思う。
因みに、当時民間でも暦は発行されていた。太陽暦を採用した官制の暦と異なり、迷信や暦注も記したもので、
発行者は官憲の目を逃れるために頻繁に名前を変えたため、オバケ暦と呼ばれ、一般の需要も多かったようだ。
これには 「頒暦証」 に似せたオバケ暦証紙が貼られていた(月刊印刷時報 ; 374, p. 42-43. 1975)ものもあった。
現物を見る機会が無いが、 「日本の暦大図鑑」(新人物往来社, 1978) には "かなり種類があって、これを熱心に集めているコレクターもいる" とあり、
ニセ証紙の例として、明治19年の「増補三才精儀」が図示されている。地球儀に"出板証"の文字があり本物と同じ青色で刷られているようだ。
[2025.09.10 記]
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