検印エピソード. 菅原通済の検印
菅原通済 (1894-1981) は実業家。戦後は随筆を多く著し、映画にも出演している。
趣味の古美術蒐集では常盤山文庫を設ける他、三悪追放協会を組織し麻薬追放活動も行った。
1950年に啓明社から出版された「群魔頓息」に、次のような検印のエピソードがある。
処女出版「放談夏座敷」の発行間近の頃、外出先で、福林さんが来宅、急用なのですぐ帰るように、と伝えられる。
福林さんとは、日本出版協同株式会社の社長、福林正之氏のことで「放談夏座敷」出版のきっかけとなった人物である。
何か手違いでもあったのかと帰宅してみると、
"初出版に奥付の檢印紙に印を押すくらゐ樂しみなものはない、印税なんか不要だらうが、
日曜の慰みにはもってこいだからと、わざわざ千里を遠しとせず鎌倉くんだりまで來てくれた" のだった。
通済は「放談夏座敷」(鏡浦書房, 1949.12)のはしがきに、
"こんなうれしいことはない。はじめて書いた雜文が本になろうとは夢である。" と記している。
そんな通済の気持ちを汲んでの来訪だったのだと思う。
その「放談夏座敷」の奥付には、普通の "菅原" の認印が押されているが、
およそ一年後に出版された「群魔頓息」の奥付には角型の "通済" の雅印が押されている。
本格的な作家活動を始めるにあたり、検印用に作成したのだと思う。
これ以降、通済の著作にはこの角印が検印として使われていることが多い。
「通濟一代 上巻」(実業乃世界社, 1966)の奥付には、検印紙の代わりに通済の似顔絵が印刷されている。
右下には "良" のサインがあり、作者はこの本の表紙の似顔絵や挿絵を描いた漫画家、那須良輔であることがわかる。
この似顔絵は、これ以降の通済の著作でも検印代わりに使用されていて、
「あの手この手」(常盤山文庫出版部, 1970)、
「無手勝流」、「続無手勝流」(常盤山文庫出版部, 1971)、
「覚せい剤」(三悪追放協会, 1974)、
「恐怖の覚せい剤」(常盤山文庫出版部, 1974)、
「食糧危機突破」(常盤山文庫出版部, 1975)で奥付に印刷されているのが確認できる。
[2025.10.10 記]
All rights reserved. Copyrighted by Masanori Kutsuna, 2025.