「三楠遺規」は陽明学者の東澤瀉 (字は崇一, 1832-1891) が楠木正成一族の遺訓を集め論じたもの。
国会図書館デジタルコレクションには、上下巻2冊本と、1冊本がある。
1冊本は冒頭の題字と序、巻末の跋が無い。2冊本が本来のものだと思うので、以下は2冊本に基づく。
上巻見返しは "澤瀉東崇一著 | 三楠遺規 全 | 阿部活版所發兌"。
下巻奥付は以下の通り。丁の表ウラに亘っている。
明治十四年十一月三日 版權免許
明治十六年十一月廿日 出板 定價金丗五銭
著者 山口縣士族 東崇一 山口縣周防國玖珂郡保津村第六十番地居住
出板人 同縣士族 阿部凖輔 同縣同國吉敷郡山口中市町第五十五番地居住
發兌 阿部出版所
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弘通書肆
東京 博聞本社
穴山有隣堂
報告社
小笠原書房
西京 京都出版會社
大阪 吉岡平助
辻本信太郎
岩國 米屋伴藏
各國賣捌所別紙ニ掲ク
一冊本の奥付は版権免許月が十月になっていて、出版日は十日を廿日に修正している。また定価は廿五銭とある。
丁ウラには、阿部出版所の住所 "同縣同國同郡山口御局小路町第壹番地" があり、穴山有隣堂の表示が無い。
また、各国売捌所の一覧別紙も無い。
証紙は上巻見返し右下部に貼られている。
飾り枠内は右側に "明治十七年五月●"、左側に "山口縣阿部商店章"、
中央に "此用紙ヲ贋造スルモノ及ヒ行使スルモノハ刑法●●●●●ヘキモノナリ" と読める。割印は"阿部凖輔" の丸印。
阿部凖輔は、「現代人名辞典」(中央通信社, 1912)によれば、
"實業家なり、山口縣出身の士族にして、慶應二年五月を以て生る、夙に清國朝鮮貿易に從事す、阿部合名會社代表社員たり" とあるが、
「實業人傑傳 第3巻」(1897) には嘉永二年 [1849] 五月生、とある。阿部は明治9年に「禪海一瀾」を出版しているので、後者が正しいと思う。
阿部は明治9年に「禪海一瀾」を出版している。慶応2(1866)年生まれだとすると、10歳ほどで出版したことになる。
嘉永2(1849) 年生まれが正しいと思う。後には、出版に限らず手広く事業を展開したようである。
「三楠遺規」のアドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2025.10.05]
「三楠遺規 上巻」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/893759]
[2025.10.10 記]
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