青蛙房の検印紙

青蛙房は、作家岡本綺堂の書生から養子となった岡本経一 (1909-2010) が創業した出版社。
社名は岡本家にあった三本足の蝦蟇の香炉に由来する。(岡本綺堂著「支那怪奇小説集」(サイレン社, 1935)の扉に写真が使用されている)
1948年、経一は青蛙堂書房の名で出版社を興し、三田村鳶魚著「女の生活」(1948)を出版したが、売れ行きが良くなかったらしい。
"三千部作ってその一割も売れなかった" と経一の著書「私のあとがき帖」(1980)には書かれているし、
三田村鳶魚著「江戸の女」(青蛙房, 1956)の巻末にある柴田宵曲の解説によれば、この「女の生活」は "殆ど世の顧るところとならなかった。
岡本君は少からず癇癪を起して、この書の殘部を斷截し、塵埃と化せしむると共に紙型も破毀してしまひ、
思ひ切りよく青蛙堂書房の看板も外してしまった" とある。その後、1955年に青蛙房として再起したのである。
創業者が綺堂の養子なだけに、江戸の風俗文化や落語関係の良書を多く出版していて、2019年に閉業したのが残念だ。

今野信雄の「定年が気になりだしたら読む本」(PHP出版社, 1986)に、今野が青蛙房から「史蹟をあるく」(1981)を出版した際のエピソードがあり、
青蛙房について "江戸・明治の風俗資料の出版においては並ぶところのない老舗。発行部数は初版がだいたい二千部。いまだに張り箱ケースや検印紙を使用し、
製本も昔どおりの手がかり上製。いわば社長の岡本経一氏が、かたくなまでに昔ふうの本づくりをつづけている出版社だ。" と書いている。

青蛙房の出版物が昔ふうかどうかは良く判らないが、しっかりした製本、落ち着いた装丁や見返しの模様など、素人が見ても上品だなと思う。
表紙左下のカット絵も、内容に合わせたものが多く(例えば永井啓夫著「三遊亭圓朝」には、圓朝の定紋である高崎扇)細部に気が配られている。
そして今野が書いている通り、検印紙(と著者の検印)を遅くまで使用し続けた出版社の一つである。

青蛙堂書房の唯一の出版物「女の生活」の検印紙は、目打ちが切られただけの無地の紙片だが、
再起後の青蛙房の検印紙は、緑色の扇型の中に蛙の跳ね姿が白抜きで描かれていて、ゴム印らしき連番が押されている。
青蛙房最初の出版物と思われる1956年1月25日発行の岡本綺堂著「近松物語」で使用されているので、創業時にデザインされたものだろう。
検印紙にはタイトル "近松物語"、"限定版"、"¥350" とも印刷されている。
これらは普通は奥付に印刷、表示される事柄で検印紙に印刷されることは珍しい。連番表示も他社ではほとんど例を見ない。
また、向かい側のページに検印の朱肉が写らないように検印紙にはパラフィン紙が重ねて貼られているものも多く、手間がかかっている。
一例として1958年12月15日出版の三田村鳶魚著 「江戸の史蹟」の検印紙 を挙げておく。
青蛙房の出版物をできる限り調べてみた。タイトルや価格が印刷されていない検印紙も比較的多いが、連番はほとんどの本の検印紙に押されている。

その後1963年に、検印紙のデザインは鳥獣戯画から採った蛙の絵に変更される。タイトル表示は無くなるが、連番は引き続き印字されているものが多い。
一例として、青蛙房の検印が押され、パラフィン紙が掛けられている1965年4月15日出版の安藤博編 「徳川幕府縣治要略」の検印紙 を挙げておく。
新版の検印紙が確認できた一番早い使用例は1963年2月25日出版の瀧川政次郎著「倩笑至味」。
なお、旧版の検印紙の使用例は単行本では1963年2月18日出版の桜木俊晃著「芭蕉事典」が最後のようだが、
1962年7月に出版が始まった「北条秀司戯曲選集」全8巻では、1964年11月20日発行の最終配刊「狐と笛吹き」まで旧版が使用されている。
おそらく全集の検印紙は全巻同じのもので揃えたかったのだろうと思う。
他の出版社が検印紙を廃止していく中、青蛙房は連番を押した検印紙を使用し続ける。
検印紙が確認できた一番最後の出版物は1995年8月25日出版の早川雅水著「巴里ごよみ」である。

例外的に、上記2種以外の検印紙が使用されているものがある。気が付いたのは以下のもの。
古田保著「憎まれっ子」(1957)[無地白色]、
宇佐美省吾著「電力の鬼」(1957)[無地白色]、
宇佐美省吾著「アイヌ勘定」(1958)[無地灰色]、
宇野信夫著「菊五郎夜話」(1976)[無地白色]、奥付に "限定版1000部の中" とあり連番が赤字で振られている。
野澤勝平・佐藤靄子編「二代野澤喜左衛門」(1977)[無地鳥の子色]、奥付に "限定出版" とあり連番が赤字で振られている。
宇野信夫著「むかし下町に住みて」(1978)[無地白色]。奥付に "限定版1000部の中" とあり連番が赤字で振られている。
また、宇野信夫の本は検印紙が貼られておらず、"検印省略" と印刷されている物が多い。おそらく著者との話し合いの結果だろう。

やがて、表紙のカット絵には可愛い蛙の絵が使われるようになる。
1975年10月15日出版の田村成義著「芸界通信無線電話」で使用されたのが最初だと思う。
この年は青蛙房創立20周年で綺堂の三十七回忌にあたり、出版日は綺堂の誕生日に合わせたことがあとがきに記されている。
おそらくこれを機に装丁デザインを新しくしたのだろう。扇型の中に描かれた蛙は、扇子を前に置いて畏まっている。
検印紙が廃止された後も、青蛙房の出版物の表紙や標題紙には この蛙の絵 が使用され続けた。
例示の画像は三好一光編「江戸風俗語事典」(2002)の表紙より。

[2025.10.20 記]
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