牧山耕平は 「巴來萬國史」の翻訳者(原著は Peter Parley の 「Universal history」)として知られるが、経歴の詳細がわからない。
文献からは、以下のような記録を拾うことができる。
"左院二等議生"(「校訂明治官員録」明治6年 (「日本史総覧」 補巻III, 1986) 所収)
明治9年米国費府博覧会渡米事務局員(「海外博覧会本邦参同史料」 第2輯, 口絵説明 "勧業寮十等出仕")
創立当時の学習院の外国語教師(田村春荘 「學習院の今昔」(「上毛及上毛人」 176, p. 45-48. 1931) による)
"[學習院]四等教師ト為ス"(「華族会館誌」 明治11年6月5日)
"牧山耕平自譯西學經濟論五部ヲ同院ニ寄附ス"(同誌 明治11年10月24日)
"請ニ依リ學習院四等教師牧山耕平ノ職ヲ解ク"(同誌 明治12年5月31日)
"文部省五等属"(「改正官員録」 明治13年8月版)
"文部省四等属"(「改正官員録」 明治16年12月版)
"元文部四等属"(「文部省職員録」 明治20年12月)
望月茂著「藤森天山」 (1936) に、天山 (儒者、1799-1862) の門人として牧山耕平の名があり、"字は輯卿、醫家である。經歷定かでない。" とある。
医師として咸臨丸で渡米した牧山修卿 (1834-1903) のことだと思うが、泉孝英編「日本近現代医学人名事典 1868-2011」によると、
修卿は明治8年に東京府病院副院長、明治13年には上野花園町で開業しているので別人との錯誤だろう。
調査したのは牧山耕平譯「初學經濟論」 再版。和装、三巻3冊。
原著は Alfred Bishop Mason、John Joseph Lalor 共著 "The primer of political economy"。
第一巻見返しは "牧山耕平譯 | 初學經濟論 全三册 | 明治十二年十一月再刻"。
第三巻の奥付は以下の通り。
明治十年九月六日 版權免許
同十二年十一月 再版
譯者出版人 東京府平民 牧山耕平 駒込西片町十番地
發兌書肆
小石川大門町 青山清吉
芝三島町 山中市兵衛
馬喰町 石川治兵衛
牧山の名の下に押されている角印の文字は筆記体のローマ字かと思うが、判読できない。
検印紙
は見返し左下の枠内に貼られている。30 × 25 mm.、版面 26 × 22.5 mm.、左右に目打あり、平版に見える。
くすんだ赤色で色ムラがある。唐草模様の枠があり、中央に "牧山氏藏版記"、左右に蜂の絵がある。割印は小さな丸印が黒で押されている。
[2025.10.20 記]
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