堀誠太郎 (1843-1902) は植物学者。「海を越えた日本人名事典」(新訂増補. 日外アソシエーツ, 2005)では生没年不詳の留学生とされ、
"山口綾木村の出身。明倫館に学び、明治3 (1871) 年12月3日、森有礼に同行してアメリカに渡る。
7年に帰国後、北海道開拓使御用掛となる。その後の消息は不明。" とあるが、経歴ははっきりしているので簡単に記しておく。
堀誠太郎は山口県士族。幼名は中井糺、養子になって内藤糺、改名して内藤誠太郎、改姓して堀誠太郎、後に中井に復姓している。
アメリカではアムハースト農科大学で学び、帰国後は北海道開拓使の他、岐阜農学校、小石川植物園、山口県立農学校等に勤務した。
北海道時代には札幌農学校の予科数学教官、またクラーク博士の通訳も務めた。クラークは農学校を辞めて学生と別れる際、
有名な "Boys, be ambitious" の言葉を残して馬に跨りその場を去ったが、その後のクラークに随伴した唯一の人物である。
なお息子は植物学者の中井猛之進、孫は小説家の中井英夫。
調査したのは国立国会図書館デジタルコレクション公開本 「婦女性理一代鑑」、洋装、3編3冊。
原著は George H. Napheys 著 「The physical life of woman」。
第1編は明治11年3月、第2編は明治11年6月、第3編は明治12年1月に出版されている。
検印紙が確認できるのは第3編。
標題紙は "堀誠太郎譯 | 米國那普平斯著 婦女性理一代鑑 千八百七十四年費府出版 | 山陽長門 司命堂藏版"。
中央上部に原題 "PHYSICAL LIFE OF WOMAN." が表示され、表紙には "第三編 慈母部" とある。
奥付は以下の通り。
明治十一年二月十六日 板權免許 定價金壹圓
同十二年一月 出板
譯者兼出版人 山口縣士族 堀誠太郎 東京芝區西ノ久保巴町二十八番地
賣捌所
屋號 土屋 芝區柴井町十六番地 松井忠兵衛
同 和泉屋 芝區芝口壹町目六番地 牧野善兵衛
検印紙は標題紙右下部に貼られている。
唐草模様に囲まれた楕円枠があり、中に何が描かれているかは判別困難だが、女性の上半身横姿のようにも見える。
楕円枠上方の枠内に筆記体の "S. Hori" の字が読める。割印は "堀誠" の方形印。
「婦女性理一代鑑」のアドレスは下記の通り。[最終閲覧確認日: 2025.10.20]
「婦女性理一代鑑 第3編」.
[国立国会図書館デジタルコレクション リンク先 https://dl.ndl.go.jp/pid/836153]
[2025.11.10 記]
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