検印エピソード. 串田孫一の検印

串田孫一 (1915-2005) は哲学者、随筆家。著書は多分野に亘るが、随筆が多い。
著述家は、検印作業を好む人と、そうでない人に大きく分けられると思うが、串田は前者である。
随筆の中にも、検印について触れているものがあるので、気付いたものをいくつか抜粋、引用する。
「文章と能率」(「印象の時時」, 1976. 所収)から
他の仕事にかかっている時には面倒だと思ったこともあるが、自分で愛着を感じる本の場合は、
この一つ一つが奥付に貼られて、どういう人の手に渡るのだろうかと、そんなことを考えながら
一つ一つ丁寧に押していくのは楽しみなものだった。
部数が多いものになると、私は消ゴムの印を作ってスタンプ台を使い、せっせと押した。
「老眠について」(「人間についての断想」, 1977. 所収)から
[篆刻の真似事に] 若いころに熱中し、中年では自分の本が出るたびに新しく彫って検印紙に捺す印を替え ... [以下略]
「硯と印」(「山の見える窓」, 1978. 所収)から
私の三冊目の「萍」という本が出る時に、はじめて篆刻家に頼んで印を作って貰った。
この本は四百部程しか作らなかった。私が出版社の主人から依頼されて、注文の兜虫を描いて
それを薄い灰色で刷った検印紙が出来、それを見せて、似合う大きさの印を刻してもらった。
「検印」(「山の見える窓」, 1978. 所収)から。
発行部数の多い人にとってはこの出版前の検印はひと苦労であろうが、
書きあげた文章が印刷され、知らない人の手に一冊ずつ渡って行くことを想えば、
この苦労もたのしい筈であるし、こつこつと捺しているあいだに、さまざまのことを考える。
「型録」(「山の見える窓」, 1978. 所収)から。
刻む文字も、篆字らしく創ったものや、ギリシャ文字や、新しく象形を考えた。
これらは多く自分の本の検印に使った。その検印が今は殆ど廃止されてしまって、自分のつくった印を、
一つ一つ丁寧に推して行くあの楽しみも味えなくなった。
私の本などは、何万、何十万と発行されることは先ず考えられないので、検印が廃止されなければ、
心をこめて捺したい気持は充分ある。

現物に当たることのできた串田の単行本はそれほど多くないが、以下に年代順に示す。
文中にある消しゴム印と思われるものもあるし、ギリシャ文字の印も確認でき、それぞれに趣向が凝らされているのが判る。

「仏蘭西哲學雜記帖」. 風間書房, 1942.8.
「懐疑」. 理想社, 1947.11.
「ものの考え方」. 要書房, 1949.11.
「フランス思想史」. 春秋社, 1951.6.
「博物誌」. 創文社, 1956.11 [4版].
「博物誌 1957」. 創文社, 1957.1 [再版].
「博物誌随想」. 創文社, 1957.5.
「砂時計と寝言」. 創文社, 1957.11.
「博物誌 III」. 知性社, 1957.12.
「哲学 NEW 門」. 日本評論社, 1959.4.
「忘れえぬ山 I」. 筑摩書房, 1959.7.
「忘れえぬ山 II」. 筑摩書房, 1959.7.
「忘れえぬ山 III」. 筑摩書房, 1959.8.
「峠」. 有紀書房, 1961.5.
「ギリシア神話」. 筑摩書房, 1961.12.
「山のパンセ III」. 実業之日本社, 1963.11.
「カメラ 日本空の縦断」. 淡交新社, 1963.12.
「雲の憩う丘」. 創文社, 1970.6.

[2025.11.24 記]
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