江戸時代の菌類標本
私も、採集したチャワンタケは一応標本にして保存している。
乾燥標本にして紙包みにいれるだけだが結構場所をとるし保存にも気を遣うがケースに入れて防虫剤を入れる程度のことしかしていない。
机の上を時々チャタテムシが這っていたりするので虫害も気になるが仕方が無いと思っている。
標本を良好な状態で保存管理していくのは博物館のように設備が整っていないと難しいだろう。
菌類に限らず、植物や昆虫等の生物標本がアマチュアのコレクションも含めて日本中にどのくらいあるのか想像もつかないが
個人所蔵の標本の中には朽ち果てていくものもあるだろう。
江戸時代にも多くの本草学者によって標本が作られたはずだが、その成果としての本草図譜類が数多く残されているのに反して
現在残っている標本は非常に少なく、特に菌類についてはほとんど皆無と言っていい。
チュンベルグやシーボルトが江戸時代に日本で採集した標本は海外のハーバリウムに現存するし、同時代の標本も膨大な量が保存されているが
近代的な研究保存機関が無かった日本に標本が残っていないのは残念ながらある意味当然だ。
それを考えると、武蔵石寿によって天保年間に作製された博物標本が今猶かなり良好な状態で保存されているのは奇跡といってもいい。
武蔵石寿(1766-1860)は幕臣であったが本草学者として貝類の研究などをし、畢生の貝類図譜である「目八譜」を著した。
国書総目録には本朝医家著述目録によるとして石寿の著作「増補菌譜 十二巻」が挙げられているので
菌類にも造詣が深かったはずだがどうやらこれは佚書のようで、内容を知ることができないのは残念だ。
(下記「彩色江戸博物学集成」には他に「菌譜 四巻」が著書としてリストアップされているのだが詳細はわからない。)
さて石寿作製とされるこの標本は大正時代にフランスの外交官で昆虫の蒐集家としても有名なガロアが東京の古道具屋で見つけて
東京帝国大学農学部に寄贈したもので、現在も東京大学農学部に保管されている。
この標本の詳細については、セミ博士として有名な昆虫学者の加藤正世氏が昭和初期に調査した報告がある。(「昆虫界」1巻(1933) p. 592-601)
加藤は論文中で全部のモノクロ写真を掲げほぼ全てを同定しているが、戦前の刊行物であり写真が不鮮明で確認する事は難しい。
最近になって「彩色江戸博物学集成」(平凡社, 1994) にカラー写真とともに紹介され(同定は田中誠氏)
現在は東京大学総合研究博物館のサイトでも一部公開されているのでその内容を見る事が出来る。
標本は桐箱七段で木枠で区画に仕切られ、それに楕円形のガラス容器が収められている。
一種づつ饅頭型のガラス容器に納められ、綿を詰めた上で和紙を貼って蓋をしたもので100種弱が現存しているが
古道具屋に置かれていたとは思えないような見事な保存状態である。
ただ乾燥させただけで大正時代までこの状態を保っていたというのは信じ難い。おそらく何か防虫処理が施されているのだろう。
江戸時代から知られていた薬品、たとえば砒素化合物のような物が塗られているのかも知れないが詳細は不明らしい。
(実際に南方熊楠は虫害を防ぐために標本に砒素を塗っていた。)
標本は昆虫ばかりではなくクモやカニ、さらにはミミズ等まであるのだが、中に3点菌類の標本がある。それは加藤に拠れば
1. カイコ (白彊菌の寄生せるもの)
2. 冬虫夏草 Cordyceps sinensis Sacc. 鱗翅目の幼虫に寄生せるもの。
3. セミタケ Cordyceps sobolifera Hill. である。
「彩色江戸博物学集成」の同定では 1. は不明、2. は冬虫夏草の一種とされている。
両者の写真を比べると標本の順番が少し変わっているところがあり、
ガラスケースの中でわずかに動いているものもあるがこの数十年間ほとんど状態に変化はないように見える。
平凡社のカラー写真も、やや小さく細部の確認は難しいが
1. は灰色の棒状の幼虫らしき物が確認できる。白彊蚕は漢方薬として使用されるが水分の多い幼虫そのものより保存に適していたのかもしれない。
2. は中国産冬虫夏草に酷似していておそらく間違いない。これも漢方薬として流通していたものだろう。
3. はセミの幼生3体から棒状のストロマが単生していて、セミタケに似ている。きれいにクリーニングされていて土塊等は見えない。
ただ先端がやや丸く膨らんでその部分が灰白色に粉を吹いている様に見えるのが気になる。
粉状物が胞子塊だとすると結実部はかなり短く、私が知っているセミタケの典型とはちょっと違っている。
虫体との結合部あたりがよくわからないのだが柄の短いオオセミタケに見えないこともないか?と思う。
この標本は十分検討に耐える状態の様なので、こんな疑問も標本を実見さえすればわかるだろう。
だから標本は重要なんだよ、と言い聞かせて将来利用するかどうかわからない標本をこれからもせっせと作ろうと思っている。
(2008.03.10 記)