今西錦司の論文「進化史論的に見たる民族」を読んだ

今西錦司の事を一言で「何々学者」と言うのは難しい。
カゲロウという昆虫の研究に始まり霊長類の研究、人類学から進化論、そして「自然学」へと進んだ幅広い研究領域、
生涯で1500以上の山に登りモンゴルやヒマラヤの学術探検という登山家や探検家としての面も合わせると
単に生物学者とか文化人類学者とか言う枠には納まりそうにない。フィールドワークの巨人とでも言うべきか。
私も一時期今西の魅力に惹かれて(実は大学の大々先輩だ)彼の著作を読み漁った時期があったが、十分理解できたとは思っていない。
彼の業績は全集にまとめられていて、別巻には詳細な著作目録もある(完全な物では無いと断っているが)ので全集未掲載の著作も把握できる。
その他未発表の原稿やフィールドノート等もかなり残されているようで、その一部は The Kinji Imanishi Digital Archive で公開されている。
また、学長を務めた岐阜大学にも原稿が保存されていて、そのリストが公開されている。
それを見ると1940年代の原稿が多く残されているのがわかる。
年代不明となっているものや1970年以降の原稿は数枚程度の物がほとんどだが1940年代の原稿は数十枚を超える物が多い。
1944年に内蒙古近くの張家口の西北研究所所長となりそこで終戦を迎えた今西は
一年近く北京に滞在した後1946年に帰国するがその時に持ち帰られたものだろう。
今西は後に「私の履歴書」の中で「後生大事に持ち帰ったのであるけれどもいっこうに出版のメドがつかない」と書いているが、
これらの著作のいくつかは「遊牧論そのほか」(1948)等として出版されている。
公刊に際してタイトルが変更されている物もあり、後に加筆されたものもあるかもしれない。
(例えば「動物記:犬とともに」は、「遊牧論そのほか」に「犬」として収められている。)
岐阜大学の原稿リストで執筆日付が 1938.1.10 となっている「六 鳥・けものの社会--つづき」は1948年の誤りではないかと思う。
なぜならそれは1947年末にかかれた「鳥・けものの社会」の続編のはずだから。

この原稿リストに「第四章 進化論的に見たる民族」(1944.7.17 執筆)と言う論文が上がっている。
リスト中には「第一章 比較社会学における生活形の問題 」(1945)、「第二章 人間生態学における道具のとりあげ方および..」(1945.6.13)があり
一連の著作の一部と思われるが、なぜか第四章となっている「進化論的に見たる民族」が一番早い時期に執筆されている。
合計すると原稿用紙で約250枚に及ぶが、全集にはこのような章題を持つ著作は収録されていないし全集別巻の著作目録にも見当たらない。
何かの理由で出版できなかったのだろうか、それとも今西自身が公刊を望まなかったのだろうかと思っていた。

最近、ふとした事から「蒙彊總力」という雑誌を見る事ができた。
戦時中、張家口の蒙彊興亜同志会が出版した雑誌で1巻1号(7月号)が1944年に出版されている。
2,3,4号の三冊しか見ることができなかったのでいつ終刊したかわからないが、おそらく終戦までは続かなかっただろう。
張家口は当時の蒙古聯合自治政府の首都だが、日本軍の支配下にあった。
この雑誌が第二次大戦の末期、文字通りモンゴルを巻き込んでの総力戦を訴える国策的な宣伝誌だったろう事は容易に想像できるが、
薄っぺらい赤茶けた雑誌を開き何気なく目次を見ると今西錦司の名があったので思わず「あ」と声が出た。
そこには「進化史論的に見たる民族」とあり、末尾には執筆日が(昭和19.7.17)と記されていて
岐阜大学の原稿リストの日付とも符合するのでこれが 「進化論的に見たる民族」である事は間違いないだろう。
3号連載の形で2号(p. 5-10), 3号(p. 4-9), 4号(p. 8-11)に亘って掲載されている。
肩書きは理学博士善隣協会西北研究所所長となっている。西北研究所は1944年に張家口に設立された日本の研究所である。
モンゴル等北方アジア民族の研究が目的で、日本軍のこの方面への拡大を視野に入れたものだがそこに今西は所長として赴任した。
短い期間ではあったけれどもここで行われた研究は後の今西の理論形成にも少なからぬ影響を与えたはずである。

この「進化史論的に見たる民族」については先に書いたように全集の著作目録にも掲載されておらず、
掲載紙の「蒙彊總力」も国内で所蔵している所はほとんど無いので、今西の主張のあらましを紹介してみたい。
冒頭は次のようなちょっと大げさにも思える文章だ。
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「この地球のありとあらゆるものは、はじめに太陽から生みだされたばかりのとき、
灼熱したどろどろの火の玉であった地球が、年をとり冷えるとともに生みだされたものである。
その意味で地球上のありとあらゆるものは、同一の血統に属する。その意味であらゆるものが、われわれの同胞である。」

(以下の梗概は私が作成したものです。今西の考えが曲解されているなら、その責は私にあります。)

民族というものは一般には国家成立以前から存在していただろう。
生物としての人間は進化の過程でいくつかの人種に分かれたが、これは生物学的な現象である。
しかし人種より多くの民族が生まれたのは、生物としての人間ではなく人間としての人間の進化の結果である。
地球上の各地の人間集団がある一つの言語や風習などで結びつき、それがその地域で支配的になればそれはもう民族の形成である。
その基礎には人間の土地利用に即した生活様式があり、民族を形成するにはある程度の土地の拡がりが必要である。
大和民族が形成されたのはちょうど日本が一つの民族形成に適した土地的拡がりを持っていたためであり、
中国は広い為に中原では漢民族が出来たけれども、周辺では蒙古やチベットといった民族が形成された。
民族そのものの形成は人間が意識的に求めていた物ではなく自然的なものであろう。それに比べると国家の形成ははっきりと意識的である。
人間の集団生活の最も原初的な単位は「家」であるが、それが集まって部落になりさらには国家に発展する。
また民族は異民族の出現によってかえって民族が自覚され民族国家の生成が促される。
ここで二つの問題が提起される。
一つは現在民族の自覚という段階にまで達していない民族も自覚と共に民族国家を作るのか、
もう一つは人間社会の発展は民族国家の成立をもって頂点とするか、それともより大きな社会単位を必要とするか、である。
国家は経済社会の発展と共に民族の占める地域の外に広がって発展し続けるであろうし、一方で国家を形成していない民族もある。
拡大した国家はこの民族という素材を用いて国民を作らなければならないが、
それには民族の閉鎖性を解放させ国民としての意識を持つようにさせるべきである。
そのために地域的閉鎖性を破るのに効果的なのは鉄道の敷設であり、心理的交通(公用言語の統一など)が開かれる事も大事である。
そうする事で民族を閉鎖性という殻から引き出すことが国家として国民を作っていくうえで必要である。
人間の進化史を三つに分けて考えるとすれば
純生物学的な人種の生成、
意志的な所産ではないという点で自然的なところがある民族の生成、
進化の課題が社会に移り社会的人間が作った国家が国民という社会的人間を作り出す、社会的人間の進化、である。
だから国家の完成こそは現代の人間に与えられた最高の歴史的課題である。ではこの過程において民族はいかにあるべきか。
例えば満洲国の蒙古人は満洲国民となり、内蒙の蒙古人は蒙古自治州の国民となってそれぞれの国家建設に参加できれば
もう民族はそのところを得たものである。

そして論文の最後は次のように締めくくられている。
「かくの如く考えてくると、民族おのおのそのところを得しめるという命題は、じつは民族おのおのが、適当な国家の中に編入され、
そこで国民に変態することを前提とした、一つの過渡的な状態に応ずるべく見出されたものにすぎないのであって、
すでに国家が生成され、民族のおのおのがそのところを得たのちには、これらの国家を単位として、
万邦がそれぞれそのところを得ることこそ、大東亜共栄圏のほんとうの理想の姿でなければならないのである。」
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この論文は書き溜めておいたストックの論文が雑誌に掲載された物ではなく、雑誌の編集部から求められて書いた物であろう。
執筆日付が7月で8月号に掲載された事、9月号の書き出しには「前号においてのべたような...」とあるのもこの想像を裏付ける。
この「蒙彊總力」という雑誌の全体像は不明だが、政治情勢や経済記事、紀行文や読者の投稿欄などもあり
編集記にある "現地唯一の日文総合雑誌" との謳い文句の通りだろうが、
今西以外の寄稿者にはロシア通のイスラム研究者である須田正継(蒙彊厚和帝国領事館嘱託)、
国際連盟事務局員を務めエスペラントの達人でもあった藤沢親雄(北京の興亜世界観研究所所長、のち日本大学教授)、
大日本青年団副団長で興亜院華北連絡部にも居た朝比奈策太郎等、クセのある名前が並ぶ。
雑誌の創刊に際して当地に縁のある学識経験者に記事の執筆を依頼したものだと思う。

この論文はこれだけで完結した内容構成になっていて、後年今西が展開する理論の一端が窺えると共に強い戦時色が漂っている。
後に執筆された「第一章 比較社会学における生活形の問題 」、「第二章 人間生態学における道具のとりあげ方および..」と共に
全体でどういった内容であるかを知るには保存されている原稿を読むしかないだろうが、
共に戦争末期の執筆である事を考えると戦後そのままの形で出版できず篋底に残されたままになったのは当然かも知れない。

(2009.12.10 記)