ミネルヴァのフクロウはこっそりと耳を落とす
die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihre Flug.
[ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ] -- ヘーゲル「法の哲学」序文より。
フクロウは、ちょっと風変わりな鳥だ。両眼が正面を向いていて、丸みを帯びて直立したフォルムはどこか人間っぽい。
最近流行のフクロウカフェや動物園では様々な種類のフクロウに比較的簡単に会うことができるが、野生のフクロウに出会う機会は滅多にない。
樹洞に営巣するために、大木のある森林を棲息場所とすることと、夜行性であることが理由だろう。
小型のアオバズクは京都では比較的普通な夏鳥で、初夏になると夜「ホッ ホッ」と鳴いているのを市街地近くでも聞くことがあるが、姿を見る事は少ない。
ミミズクもフクロウ科の鳥で、頭の左右に耳の様な羽毛(羽角)があるものがミミズクと呼ばれるが、厳密に区別されるものではなく、生物学的にはあまり意味がない。
シマフクロウには小さな羽角があるし、前述のアオバズクには羽角は無いが、名前の上ではミミズクの仲間にされている。
なお、フクロウと言う名前の鳥 (学名 Strix uralensis) はいるが、ミミズクという名前の鳥はいない。
ミミズクはコノハズクやワシミミズクなど、上記特徴を持つフクロウ科の鳥の総称である。
京都にミネルヴァ書房という出版社がある。創業1948年、設立1952年。主に人文社会系の学術書を出版している。
会社の名前はローマ神話の女神ミネルヴァ (Minerva) に由来する。
ミネルヴァはギリシャ神話では女神アテーナー (Athēnā) に対応し、共に芸術、知恵等を司るとされ、聖なる鳥としてフクロウを持つ。
絵画でも、フクロウと共に描かれる事が多い。不吉な鳥とされる事も多いフクロウが、一方(特にヨーロッパ)で知恵の象徴とされるのはそのためだ。
当然、ミネルヴァ書房のシンボルマークはフクロウで、同社のサイトでは社名の横にフクロウの絵がある。(2019.09.05 閲覧確認)
本社社屋にあるレリーフにはフクロウが描かれ、冒頭に引用したヘーゲルの言葉が刻まれているという。(毎日新聞大阪版朝刊 2017年6月13日の記事による)
また、ミネルヴァ書房が出版した本の標題紙には、フクロウのマークが印刷されているものがある。
時代によっていくつかの種類があるようで、例えば以下のようなものである。
左は1970年出版「アメリカ帝国の興隆」より。
社のサイトトップにもあるこのデザインは、古代ギリシャのテトラドラクマ銀貨から採ったもの。フクロウの背側にあるものはオリーブの枝と三日月。
銀貨の反対の面にはアテーナーの横顔が彫られている。このフクロウはヨーロッパに普通なコキンメフクロウとされ、その学名 Athena nocutua はアテーナーに因む。
右は1989年出版「フランス共和国の肖像」より。周囲には "Librairie Minerva Shobo" とある。
フクロウのまわりの句 "ars longa, vita brevis" は古代ギリシャの医学者ヒポクラテスの言葉。
直訳は「技術は長く、人生は短い」 だが、日本の成句で言えば「少年老い易く学成り難し」である。
さて、最近の出版物ではほとんど見る事が無くなったが、昭和40年頃までは本の奥付に検印を付けるのが通例だった。
普通は押印された切手大の紙片が奥付に貼付されているが、奥付に直に押印されている場合も多い。
この紙片(検印証紙、検印用紙などと呼ばれる)は、各出版社それぞれに凝ったデザインのものが多く、見ていて楽しい。
ミネルヴァ書房の検印証紙には
フクロウ
がデザインされていた。(大江志乃夫著、明治國家の成立. 1959年11月25日発行より。)
かわいいデザインで、私の好きな検印証紙のひとつだが、このフクロウには "暗い過去" がある。
このフクロウは当初は立派な耳が付いた
ミミズク
だった。(前芝確三編、近代政治社会史. 1954年12月5日発行より。)
それがいつの間にか耳が取れてフクロウになったのだ。このフクロウとミミズクは、耳以外は同じデザインになっていて、完全に重なり合う。
余分な耳に気づいて原版の耳の部分を削り落としたのだろう。このミミズク印紙は創業当初から使っていたと思われるが、
私が確認できたミミズク印紙のもっとも遅い使用例は前述、1954年12月5日発行の「近代政治社会史」だ。
フクロウ印紙は1955年5月15日発行の「法學研究入門」では既に使用されているので、
この間にミミズクは耳を落としてフクロウになったことになる。
ところで、上掲の "Ars longa, vita brevis" と言ってるフクロウ、あまり可愛くないように思う。
ミネルヴァ書房のオリジナルデザインなのか、どこかに基となった絵があるのかは知らないが、よく見ると小さな耳があってミミズクのようだ。
フクロウとミミズクを分けるのはあまり意味がない、と言ってはみたものの、やはりちょっと気になる。
--- [附録] ---
知恵の象徴とされるフクロウはミネルヴァ書房以外にも複数の出版社で検印証紙のデザインに使用されている。また、ミミズクをデザインしたものも意外と多い。
他にもまだあるだろうが、私の知っている例をいくつか挙げておく。まずフクロウ。
小山書店 -- 1930年代。テトラドラクマ銀貨がモチーフ。
小山書店(別デザイン) -- こちらは1940年代後半から1950年代。
東京堂 -- 1960年代から1970年代。これもテトラドラクマ銀貨が基になっている。
丸善 -- 1960年頃。フクロウの背中に枝葉があり、テトラドラクマ銀貨と構図は似ている。ただし枝はオリーブではなさそうだ。
丸善(別デザイン) -- 得体の知れない動物だが、眼鏡をかけたフクロウだろう。ミミズクにも見える。1920年代から1930年代。
矢島書房 -- 1940年代から1950年代。フクロウだろう。
他に、河出書房新社が出版している河出文庫の奥付と裏表紙にはフクロウがデザインされている。
そしてミミズク。
大阪屋號書店 -- 1920年代後半から1940年代。方形枠の上部中央にあるのはミミズクだと思う。
岡倉書房 -- 1940年代後半。子供の絵みたいだが、これは何か、と聞かれたらミミズクと答えるしかないかな、と思う。
興風社 -- 1910年代。「Kofusha」 の 「K」 に止まるミミズク。左右異なる瞳孔の眼がかわいい。
四季社 -- 1950年代。開いた本の上に止まる2羽のミミズク。
春秋社 -- 1950年代以降。不鮮明で判りにくいが、ミミズクだろう。
新紀元社 -- 1940年代。この証紙は社名表示はこのままでニュース社でも使用されている。
(2019.09.13 記)