岡村金太郎著「日本海藻學」は天下の孤本なのか?

日本の海藻学を拓いた岡村金太郎博士 (1867-1935) は生涯で200編を超える論文を発表し、また単行本も多く著した。
東京に生まれた岡村金太郎は帝国大学理科大学植物学科を卒業、水産講習所などで長く海藻類を研究した。
博士の著書「海藻学汎論」の緒言には次のように書かれている。(訂正増補再版, 1902 に拠る。一部省略、原文はカタカナ旧字体)
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「此の書は余が曩きに明治二十五年中著したる日本海藻学第一編総論之部と其性質を同ふすれども爾来智識の加ふるもの漸く多きを以て
之を当時のものと比すれば到底同日の談にあらず。当時日本海藻学は版成り方さに発売したるの日書肆不幸にして火災に罹り一冊も餘す処なく
且つ原稿さへも共に焼失したるを以て世上に流布するものあらず。」
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二十代半ば、まだ大学院生だった岡村金太郎が書いた最初の藻類の総説はなんと発売前に一冊残らず燃えてしまったのだ。
ところが博士の没後、山田幸雄によって纏められた岡村博士の著作目録(「故岡村金太郎先生略伝」植物学雑誌 49巻 587号, p. 814-825)には
「日本海藻學 第壹編総論之部」が明治25年出版の著作としてリストアップされているし、
国立国会図書館編「明治期刊行図書目録」にも間違いなく収録されている。
それに拠ると上記の書肆というのは神田区裏神保町にあった冨山房の事であることがわかる。
冨山房は明治25年4月10日に発生した神田大火で創業以来の店舗を失っているのだが
社史「冨山房五十年」の巻末にある刊行図書目録にも確かに明治25年に出版された図書として「日本海藻学」が載っている。
「日本海藻学」は博士の業績上も、出版史上でも確かに出版された事になっている。

だが、この本は博士自身が述べているように一般には流通しなかったようだ。
もし現存するのなら実際に見てみたいと思って調べたが東大、京大、北大等、植物学研究に伝統を持つ大学図書館の蔵書目録には見当たらない。
博士の旧蔵書は現在岡村文庫として東京海洋大学に納められているが、その目録にも無い。
そのほか牧野植物園のような多くの蔵書を持つ研究機関の目録等、かなり調べてみたが確認できたのは国会図書館所蔵本のみだった。
わずか数十ページ、やや大判の簡素な造りの本で奥付には明治二十五年三月十八日印刷、三月二十一日出版とあるのだが
出版日の二十一の部分は二十と印刷した後で一を手書きで書き足している。
標題紙には東京圖書館の蔵書印と「明治二五年三月二八日」の日付印が捺されていて確かに火災前に受け入れられた事がわかる。
東京圖書館は国立国会図書館の前身であり、一般に発売される前に納本されたものが幸運にも焼失を免れたようだ。
四月十日の火災ですべての本が灰燼に帰した、と言うことはその時点でまだ発売前だったという事で、何等かの事情で発売が遅れたのだろう。
序には「本書は之を二部に分ち總論の條下に藻類一般の性質を論じ各論の部に藻類の分類を記せり。
然れども其の分類は研究未だ全からざるを以て余の既に知り得たるものの中其主要普通なるものを挙げ尚他日を俟て其遺を補はんとす」
(原文はカタカナ表記)とあるので各論の部の完成を待って発売する予定だったのかも知れない。
冨山房が神田大火の直前期に出版した本は幾つかあるが、これらの本は複数の図書館で所蔵が確認できるので実際に流通したのは間違いない。
当時の新聞を調べると冨山房の出版物は奥付に記された出版日より数日遅れて広告が掲載されている事が多く、
例えば同年3月31日出版の奥付がある相川銀次郎と岡村博士共著の「水産工藝沃度製造新書」は4月5日に新聞広告が出ている。
だが調べた限りでは「日本海藻学」の新聞広告は掲載されておらず、発売予告なども見つけられなかった。
やはり「日本海藻学」は三月二十一日出版と奥付にあるにも関わらず四月十日に至るまで発売されずそのまま焼失し、
原稿も共に焼失したため改めて版を組む事もできず「幻の書」となってしまったようだ。
岡村博士は明治23年に「植物学教科書」を冨山房から出しており、上記「冨山房五十年」にも回想を寄せているのだが (p. 318-320)
「日本海藻学」には触れておらず博士自身もおそらく持っていなかったのではないかと思う。

国会図書館所蔵本以外に焼失を免れた「日本海藻学」はあるのだろうか。まだ探索は続けるつもりだけれど天下の孤本かも、と思う。
著者の死亡により続巻が出なかったり、出版社の資金繰りが付かなくなって出版中止になった本は少なくない。
戦前は検閲で発禁処分になるものも多く、発禁書目録の類も幾つか編纂されている。
だが、問題なく完成したにもかかわらず焼失して流通しなかったというのは非常にまれな例ではないだろうか。

(2008.04.14 記)