頭を縦に振る相模の女
先日仕事で「Die Sprichwörter und bildlichen Ausdrücke der japanischen Sprache」(1897 刊)という本を扱った。
普段、本の内容を見る事はほとんど無いのだがこの本の印刷者、Tokyo Tsukiji Type Foundry の名前には覚えがあった。
Tokyo Tsukiji Type Foundry とは東京築地活版製造所のことだが、その前身は日本近代活字の祖といわれる本木昌造が作った
「活版伝習所」である。オランダ通詞でもあった本木は、明治初期にいち早く金属活字を作り、
「築地体」として知られるその書体は現在のコンピュータフォントにまで影響を与えていると言われている。
そこで本文を見てみようと思い、ぱらぱらとめくってみた。
著者は P. Ehmann とあるが、Paul Wilhelm Ehmann (1858-1901) の事である。
当時は金沢第四高等学校の教師で、後には学習院の外国人教師となっている。
日本文化にも関心が高く他に百人一首のドイツ語訳などの業績もあり、四高の講師であった西田幾多郎とも親交のあった人物だが、
若くして結核で亡くなり青山墓地に埋葬されている。
さてこの本には日本の諺とそのドイツ語訳と説明が並べられている。現在ではあまり聞かないような諺もあるがその中の
「Kaburi wo tate ni furu Sagami no onna. 頭を竪に振る相糢の女」(漢字表記はそのまま)というのが目に留まった。
相模がおよそ現在の神奈川県にあたる事は知っているが、こんな言葉は聞いたことが無い。ドイツ語の説明を見てみると
「Die Mädchen von Sagami, die (wenn sie "nein" sagen, dabei) mit dem Kopfe nicken.
Sich stellen, als wolle man nicht, und doch die Sache lebhaft wünschen.」とある。わかったようなわからないような説明文である。
実はこれを見た時一番最初に思い出した言葉が「ぷりぷり男に埼玉女」であった。
吉田戦車の漫画「ぷりぷり県」にでてくる諺で「男は首をよく動かすぷりぷり男がよく、女は耳をよく動かす埼玉女がいい」という意味だ。
もちろん作者の創作だが、これを思い出したものだから相模の女性は首をよく動かすのか?などと思ったがどうも違うようだ。
ことわざ事典などで調べてみると相模女(あるいは相模下女)というのは淫奔好色の女、の意で江戸時代に川柳の題材となっていたとの事。
「相模女に播磨鍋」(播磨鍋は底が薄く煮えるのが早いことから、共に尻が早い物のたとえ)という言葉もあり、
相模地方から江戸に下女として奉公した女性が淫乱な女性としてしばしば扱われたと言われている。
このあたりに関しては齋藤昌三の「相模女好色考」に詳しい論考があり、多くの川柳が例として挙げられている。
江戸で下女に相模の女性が多かったのにも理由があるようだが、大都市近郊の下女の供給地だったのだろう。
大阪では平郡(へぐり、と読む。奈良県生駒郡で大阪府に隣接する)の女性が仕事が良くできるので下女として重宝されていた、
という事を何かで読んだ記憶もあり(高崎正秀の「古典と民俗学」だったと思うけれど現在手許に無いので確認できない)
各都市周辺の農村地帯にはそれぞれそんな地域があったのではないかと思う。
上記「相模女好色考」には「若し相模女が好色多情であったとしたら、その血を承けた現今の女性も、亦然りであるべきだが、
当今の相模産の女性には、そうした噂は聞いたことがない」とある。私は相模地方出身の女性の知人はいないし確かめる術もない。
川柳ではあまり良い意味に使われない言葉に「立ってたれる」京女というのもあるけれど、
京女の話は事実らしいので、そういう点では相模女はとんだ濡れ衣を着させられたものだと思う。
(2007.06.12 記)