石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け
子供の頃に読んだ楳図かずおの漫画「へび少女」はやたら怖かった。
ストーリーが怖いのはもちろんだが、ベタ塗りが多く紙面が暗いのも不気味だった。
一人の時は怖くて読めず、他の漫画を読む時に間違ってページを開かないように注意したものだが恐る恐る読んだ幾つかのシーンは今でも鮮明に覚えている。
最近文庫本として復刊されたのを本屋で見つけて懐かしくなって買って読んでみたのだが、意外な事に記憶とはちょっと違っていた。
私が楳図かずおのへび少女の一こま、だと思っている場面の中には、他の漫画と混同しているものがあるのかも知れない。
それはともかく、首に鱗のある鋭い目のへび女が卵を丸呑みにするシーンは当時の私に強烈な印象を与えた。
実際のヘビの目は丸くて瞬きをしないその顔つきは結構かわいいと今では思うのだが、卵を丸ごと呑むというのが妙に不気味だった。
私が生卵(卵かけご飯も)が嫌いだった事もあるだろうが、硬くて動かず少なくとも喉を通る時には味の無いはずの物を餌と認識して呑む、
というのが本能といえばそれまでだが神秘的な蛇の智慧を物語るように思えた。
実際に蛇は鶏小屋に忍び込んで鶏の卵を食べる事があるし、低い木なら登れるので樹上の巣の卵を狙う事もあるだろう。
親鳥が抱卵中の卵は温度も高いはずだし親鳥の臭いもするだろうから餌だと判断できるのもわかるが、
地中に生みこまれたカメの卵を蛇が見つけ、掘り出して呑むという話は俄に信じ難い。
それは岩田久二雄によって観察されその一部始終が記録されている。
岩田久二雄はハチ類の習性研究で知られる昆虫学者で、その卓越した観察眼によって多くの昆虫の生態を記録したが
学術論文以外にも多くの一般書を著し日本のファーブルとも称された。
著書「自然観察者の手記」(1944年刊)にある「蛇が亀の卵をぬすむ話」は岩田が「かつて見た蛇の行動で最も不可思議なこと」の記録である。
1928年8月1日、岩田は猪名川の近くで不思議な行動をしているヘビに遭遇する。
それは一匹のシマヘビが頭を砂中に差込み、ごく僅かな砂を頭に載せて跳ね飛ばしながら少しづつ掘り進むというものだった。
直感的に蛇の産卵行動だと思った岩田はしばらく観察してその場を後にした。
翌日蛇の卵を掘りだすつもりで再度河原を訪れ、予想通り地中から数個の卵を掘り出す。
持ち帰った卵を土に埋めなおし様子を見るが、いつになっても蛇が孵化する様子はない。
待ちきれなくなった岩田が卵を掘りあげて割ってみると孵化直前のイシガメがミイラになっていた。
ヘビの卵だと思って持ち帰ったのはイシガメの卵だったのだ。
蛇の不思議な行動は産卵のためではなく、亀の卵を掘って食べるためであった事を知り岩田は大変驚いている。
蛇はどのようにして亀の卵の存在を知るのだろう。
卵を透して地中から発する幼亀の臭いを感知するのだろうか。それともわずかに残った親亀の臭いをかぎつけるのか。
そして嗅ぎ付けた卵を恐るべき忍耐力と努力をもって掘り出そうとしたのだ。
しかしこの時は結局卵に到達する事はできなかった。それもまた不思議である。
木原生物学研究所の研究員として戦時の海南島に赴く直前に今西錦司の勧めによって遺書のつもりで書いたという「自然観察者の手記」は
14章からなる珠玉の観察記録だが昆虫以外の生物を取り上げているのはこの章だけだ。
岩田はこの驚きを書き残さずにはいられなかったのだろう。
そしてこれと全く同じ驚きを斉藤茂吉が歌に詠んでいる。それが冒頭の歌である。
ちょっと気味が悪いけれどさほど嫌悪感は感じない、妙な感触の歌だ。
うまく表現できないのだが暗闇でぬるい風呂に浸っている様な感じ、とでも言えばいいだろうか。
昭和5年に詠まれ、歌集「たかはら」(1950年刊)に「近江番場八葉山蓮華寺小吟」として収められたこの歌には次のような詞書がある。
この寺に沢ありて亀住めり。亀畑に来りて卵を生む。縞蛇という蛇、首を深く土中にさし入れて亀の卵を食うとぞ。
また、後年の茂吉自身による注釈「作歌四十年」にはこの歌について
「この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである。
そこの石亀が陸地にあがって来て卵を生むと、蛇がその卵を呑む事実を、ここの寺の石川隆道さんが話してくれた。
亀は卵を呑まれるとも知らず、心を安んじて池に帰ってゆくさうであった。
蛇は多分地むぐりという奴で、何でも首をつきさすやうにして亀の卵を発見するさうであった。
私はこの話にひどく感動して、いろいろと難儀して作ったがどうにか物になったやうである。」とある。
折口信夫に師事した歌人で国文学者の岡野弘彦氏は著書「折口信夫の晩年」で、折口の主宰する歌会でこの歌の鑑賞を求められた、と記している。
折口のこの歌に対する考えも岡野氏が当時どう答えたのかもわからないけれど、最近岡野氏が源氏物語全講会でこの歌に触れている。
(全講会の内容はネットでも公開されている。
源氏物語全講会
第54回, 葵より, その2, 8「視覚でできている歌と聴覚でできている歌」 を参照。)
この歌について「何か不思議な魅力がある」として、
番場蓮華寺が鎌倉をめざした六波羅探題北方の北條仲時ら数百人が自害し祀られている場所である事が、
作歌の一番深い心の動機ではなかったかと述べておられる。
そう考えるとこの歌も単なる蛇の生態に対する驚きの表現には留まらないのかもしれないが、
そんな背景を知らなくても、あるいは詞書を読まなくても茂吉の驚きは十分に伝わってくる。
傑出した生物学者と歌人がそれぞれに同じ驚きを書き残した事、
しかもその事実を見聞きしたのが昭和3年と5年、出版されたのが昭和19年と25年と時期が近いのも偶然とはいえ興味深い。
(2009.05.01 記)