本棚に立てられた洋書の背文字は読みにくい

本の顔、といえば普通は表紙だろう。単行本に限らず、雑誌も含めたいわゆる出版物の表紙はそれぞれに凝ったデザインになっていて
たとえば学術書なら重厚な感じだったり、娯楽書なら遠くからでも目を引く様なデザインだったりでそれぞれ装幀家の腕の見せ所だ。
ハードカバーの本には全体にジャケットがかぶせられている事も多く、その場合はジャケットの下の表紙本体は地味な事が大半で、
化粧をした一見美人の女性が実はすっぴんは地味だったりするのと同じようなものだ、などと思う。
でも、せっかく見栄えよく作ってもらっている本も本屋に並んでいる時は背表紙しか見えないのが普通だ。
売れ筋の本は本屋では平積みされていて表紙が見える事も多いが、自宅の本棚や図書館などで書架に並べられた状態では背表紙しか見えない。

最近の図書館はたいていオンラインで蔵書検索ができるし、コンピュータ制御のクレーンが本の出納をするような最新の自動書庫では
書架の間を歩いて本を探したりする楽しみは無くなってしまっている(この場合でも利用者は背表紙を見て探している)。
そこでパソコンの画面に検索結果として背表紙の画像を並べ「バーチャル書架」を見せるようなシステムも考えられている。
そういう点でも本の背は本のアイデンティティを知らせる場所としては表紙に勝るとも劣らず重要なものだと言っていい。

私は一日中洋書を扱う仕事をしているのだが多くの洋書の背を見ていて以前から疑問に思っている事がある。例えば 私の本棚の一部 はこんな風だ。
ある本は背表紙の文字が下から上へ、あるものは横書き、あるものは上から下へと書かれていて、ばらばらだ。もっと読み易く統一できないのか。
私はこの90度傾いたアルファベットを読むのが苦手で、自分の本棚は冊数も少ないし見慣れているからいいけれど
書庫で洋書を探す時は首を右にしたり左にしたりで読み難い。外国の人はこれをすらすらと読めるのだろうか。
本屋の洋書コーナー等で本棚を見ている人をそっと観察してみると、外国人でも少し首を傾げて見ている事が多い。
ネイティブの人でもやはり読みづらいのだろう。その点、縦書きでも横書きでも違和感無く読める日本語の文字は便利にできている、と思う。

話はそれるが、植物学者の藤井健次郎(1862-1952, 東京帝国大学教授)は洋書を縦にして(文字が上から下に進むように本を90度回して)読んだと言う。
留学先のドイツでもそのようにして読み、さすがは日本人だと感心されたという逸話を何かで読んだ記憶がある。
要は慣れの問題で、慣れてさえしまえばどんな方向からでも読めるものだとは思う。
だが一方向に揃っているのならともかく、上から下へ書いているものと下から上に書いているものが混じっていると大変読みづらい。

出版業界では背表紙の文字を上から下へ書く事を「書き下げ」、下から上に書くのを「書き上げ」と言う。
日本語の本も含めて、背文字の書き方には大きく分けて4種類ある。
書き上げ = Ascending-spine title、書き下げ = Descending-spine title、横書き = Transverse-spine title、縦書き = Pillar-spine title である。
本を立てた状態で背の部分を見た状態を図で示すと下の様になる。
spine1
私の本棚の例だと、Seaver の Cup-fungi 等が書き上げ、Dictionary of the fungi 等が書き下げ、Microfungi on land plants が横書きである。
横書きは、上図のように単語(句)を横書きにし、それを縦に並べてセンタリングをするのが普通で、タイトル全体を一行の横書きにすることは短いタイトルの場合以外は稀である。
(Dictionary of the fungi はタイトルは書き下げ、著者名は横書きになっている)
私の本棚には背表紙が縦書きの本が無いので 洋書の縦書きの実例 を挙げておく。 実はこれは表紙ではなく、ジャケットだ。
基本的にジャケットと本体の背表紙の字の向きは一致しているが、本体は書き下げでジャケットは横書き、などと違っている事もある。
デザイン的な事もあるだろうが、概してジャケットの字の方が大きくて読み易い事が多い。
ちなみに、書き上げ、書き下げのタイトルは複数行に書かれることも多いが縦書きの洋書で背文字が2行以上になっているものを見たことがない。

日本語の本では縦書きが普通だ。と言うよりほぼ100%縦書きである。百科事典などの厚い本では横書きの場合もあるし
雑誌などで書き下げる例はあるけれども、書き上げの実例は今までに見た記憶がない。
一方、横書きが一般的なヨーロッパ諸語で縦書きにしている例は極めて少ない。書き上げや書き下げよりも読み易いように(日本人の私は)思うのだが
案外読み難いのかもしれないし、日本関係の著作で縦書きの例を幾つか見た事があるので縦書きにすると東洋風な感じがするのかもしれない。
また、ラテン文字のアルファベットは一般に縦長いので、縦に並べると短い単語でも意外と長さを取ってしまう事、
エルの小文字、アイの大文字小文字 (l, I, i) が縦に並ぶと見辛く、さらにそれが2行に亘ると一層読み辛いのも縦書きが避けられる理由の一つだろうか。
(上の説明図でも、そのために PILLAR はあえて全部大文字にしてある。これを小文字で書いた場合を想像していただきたい。)
本にある程度の厚みがあったりタイトルが短い語句の場合であれば無理なく横書きにする事ができる。
細身の活字を使えばかなり薄い本でも横書きに出来るがその分字が小さくなるので読者の目を惹く、という点では不利だろう。
とはいえ、英語のような横書きの言語では自然で読みやすいのは確かである。
なお、私の知る限りではあるが、日本の図書館で洋雑誌を製本して背表紙を作る場合は横書きが圧倒的に多いようである。

背表紙の文字を書き上げるか書き下げるかは、どうやら出版国によって傾向があるらしく
従来はアメリカは主として書き下げ、イギリスでは書き上げが一般的と言われていたようだがこの事に言及した文献は少ない。
大修館書店から出版された「Question-Box Series」は普通の文法書では取り上げられない英文法の細かな疑問やニュアンスの違いを丁寧に解説する
大変有用な本だが、その13巻に背表紙の書き方についての解説がある(p. 71-72)。
そこでは書き上げも書き下げも製本上の特別の必要があって行われているのでは無く、アメリカの文庫本は書き下げ、
イギリスのものは書き上げが多いが、地域や時代の差が決定的な要素になっているとは言い切れない、とある。
立てた状態では比較的読みにくいとされる書き上げが行われる理由については、
「何かのつごうで読みかけた書物を回さなくてはならない場合には、右に90度回すのが自然ではないでしょうか。
したがって書物を読みかけていて、ふと背文字を見ようとするときはいわゆる書き上げのほうが、見やすいということになるわけです。... [途中略]
以上を総合しますと、書き上げは読んでいる途中で背文字を見るための便利さより、書き下げは、表紙を上にして書物を置いたとき、
および、書棚に立てたときの読みやすさによって、生じた習慣であると考えてよろしいかと思います。
しかし、地域について言えば、英国のものには書き上げが比較的多く、時代について言えば、
古いものに書き上げが比較的多い、と言ってよいのではないかと思われます。」と説明されている。
書き上げが読み難いかどうかはさておき、書き上げる根拠については少し無理があると思う。
この本は1962年に出版されており、アメリカとイギリスの差についても今とは少し事情が違うようだ。
今の英語の本は両国とも殆んどが書き下げ、というのが私の実感だ。

では現在出版されている本の背は実際どうなっているのだろう。調べて見た。
以下、主に「書き上げ」「書き下げ」について調べた結果を列記してみるが、対象としたのは主に人文、社会系の学術書である。
自然科学系の本や文芸書などではまた違った傾向があるかもしれない。

フランスで出版された本はほとんどが書き上げで書き下げはまず見られない。
フランス語の本が並んでいる本棚で書き下げの本がたまに混じっていればそれはフランス以外で出版された本である事が多い。
また、横書きのものが案外多い。 1センチほどの厚みしかない背に小さい字で苦労して横書きしているものもある。
ドイツも比較的書き上げが多いが出版社によっては書き下げが基本のものもあり、最近では書き下げる傾向が強くなって来ている。
同一体裁のシリーズ出版物で英語のタイトルは書き下げ、ドイツ語のタイトルの場合は書き上げと言う様に意図的に区別しているらしい例もある。
オーストリアも書き上げが多い。スイスはドイツ語とフランス語の本については書き上げが基本である。
イタリアの出版物も書き上げが優勢だ。スペインとポルトガルの出版物はあまり多くの例を見る事ができなかったが書き上げの例が多い。
オランダは少なくとも最近の本は書き下げが主流のようだ。
キリル文字を使うロシアは旧ソ連時代も含めて書き上げがほとんどで横書きが若干あるものの書き下げはかなり少数派である。
また縦書きの例が英語やフランス語に比べて若干多いようだが、これはキリル文字には i, j, l のような縦線のみの文字が無い事が理由かも知れない。
チェコなどの東欧圏は書き上げと書き下げが両方あるが書き上げが優勢なようだ。北欧圏は書き下げが基本の様に見える。
ギリシャ文字、グルジア文字などの非ラテン文字の本については多くを調べる事ができなかったが書き上げが多いようである。
概して東欧、南欧圏は書き上げる傾向が強いと言えるが、数カ国に拠点を持つような国際的な出版社の出版物は現在では書き下げが主流である。

アラビア文字の本はほぼすべて書き下げである。
もっともアラビア文字は右から左に書き、製本は洋書とは逆の右開きなので本を立てた場合は文字は左側が上になる。
アラビア文字を使う言語はアラビア語以外にペルシャ語やウルドゥ語、ウイグル語など多い(各言語で文字に若干の違いがある)が、見た限りでは書き下げが基本である。
厚い本では横書きも多いが、文字の性質上縦書きは不可能だし実例も見当たらない。
なお、アラビア語の本で数冊以上の本がセットになっている全集等では セット全体で横書きのタイトルが完成されるもの が比較的多い。
おそらく縦に並ぶアラビア文字に対する違和感が大きいのだろうと思う。このようなデザインの本は欧米圏の本では極めて稀である。
(日本では漫画のコミックス等で全巻揃えて並べると背のイラストが一枚続きで完成するものが良くあるが、タイトルの例は知らない)
同じく右から左に書くヘブライ文字については十分な数の資料にあたる事ができなかった。

インドのデヴァナガリ文字の本は両方ある。出版社によって違うようで、どちらが優勢とも思えない。
縦書きの本も結構目に付くが、よほど厚い本以外は横書きは少ない。一単語が比較的長く、途中で切る事が難しいのが理由かも知れない。
インドの他の文字、タミル文字、シンハラ文字等も両方の例があり、統一が取れていない様に思う。
チベット語の本は書き下げが圧倒的に多く、書き上げは稀である。

中国は例外的に横書きがある以外全て縦書きなのは日本と同じだ。
ハングルも見た限りではほとんど縦書きで、書き上げや書き下げの例は見られない。
モンゴルは現在はキリル文字を使っているが、文字が縦に続く旧来のモンゴル文字の図書はもちろん縦書きのみである。
日本で出版された英語やドイツ語の出版物はほとんど書き下げだが、フランス語の場合は書き上げる場合がある。その国の慣習に従った結果だろう。
多くの女性向けの雑誌の様に内容が日本語でタイトルがアルファベットの場合も書き下げるが
右開きでも左開きでも書き下げるので右開きの場合は表紙を上にして重ねると文字の上下は逆転する。
(薄い雑誌は背表紙がないので裏表紙の背側(左上部)に縦に細くタイトルを書く事が多い。これを Edge-title という。)

全体的に、横に書き進む文字を背に書く場合は書き下げが優勢になってきているが、フランスやロシア等の本は書き上げが基本、と言う事になりそうだ。
本が厚い場合に横書きされる例が多いのはどの国でも共通している。

字が小さくなる点を除けば横書きが一番読みやすいと思うが、書き上げと書き下げのどちらが人間工学的?に優れているのか私には良くわからない。
書架に並べる際には、本は左から右に並べるのが普通なので本の背を順に読んでいくような場合、
書き下げの本を首を右に傾けて右に読み進むのと書き上げの本を首を左に傾けて右に読み進むのでは書き下げの方が自然のような気がしないでもない。
また、普通は西洋の文字は左から右へ、上から下へと進むので書き下げの方が眼の動きとしては自然なように思う。
だが、右利きの人が右手で本を取る時は頭は若干左に傾くだろうから、その場合は書き上げのほうが若干読み易いだろうか。
本棚に立てられて並んでいる状態ではどちらかに揃ってさえいれば大差ない、というのが実感である。

日本人が机に置いた紙に字を書く場合、縦書きなら自分と垂直に、横書きなら自分と平行に字を書き進めるのが普通だが
欧米人が字(特に筆記体)を書くのを見てみると、真横に書く人はあまりいない。
紙を少し斜めに傾けて(左側を手前に、右側が向こう側になるように置いて)一行を左下から右上に向って書き上げていく。
人によっては45度以上の角度で書き上げている人もいて、結果的にはかなり書き上げに近い文を見ながら書いている事になる。
そういう人達にとっては書き上げの文字は案外読み易いのかもしれない。
だが、本を表紙を上にして机に積み重ね、その背表紙を横から見る場合は書き下げの方がそのまま読めるので有利である。
少し乱暴な言い方をすれば、本を積み重ねた時に便利なのが書き下げで、
本を立てている時は(方向が揃っているとすれば)もしかしたら書き上げが有利なのかもしれない。

さて、わざと後回しにしたイギリスとアメリカの英語の出版物だが、最近の本と古い本ではその傾向が全く違っているのに気が付く。
古い本、だいたい1900年以前の本を見てみると、横書きが主流で書き上げも書き下げも非常に少ない。
薄い本でも小さな縦細い活字で横書きにしている場合が多く、さらに薄く物理的に横書きできない本は背に何も書いていない事の方が普通だ。
もともと西洋では本の購入者が自分の好みに合わせて装幀する伝統があったし、
痛んだ本を後で修理製本する事も多いので古書の出版時の背表紙を大量に調べる事は案外難しいのだが、幾つか調べて見た。
京都大学文学部のクラーク文庫は、大正から昭和初期にかけて文学部の教師だった Edward B. Clarke (1874-1934) の旧蔵書で
19世紀から20世紀初頭の英語の本を中心に5000冊ほどが所蔵されている。それ以後の本は追加されていないので
当時の出版物の状況がよくわかる。明らかに後で修理された物などは除いて、この文庫の背表紙を調べてみると
90%以上の本の背が横書きである。書き上げ、書き下げの本はどちらも数パーセント以下であり、殆んど例外的である。
他にもいくつかの文庫等で調べてみたが、傾向は同じで書き上げや書き下げの本は第一次世界大戦頃までは非常に少ない。
これは実は英語圏の本に限らない。フランスやドイツの本も、1900年以前の本では横書きが多く、書き上げや書き下げの例は驚くほど少ないのだ。
また、さらに古い革装本(1600年代から1800年代あたりまでの本)はほぼ間違いなく横書きで、書き上げや書き下げの本を見た記憶がない。
これには理由がありそうだ。

本を作るとき、裏表一枚(つまり2ページ)ごとに印刷することは普通しない。
大きな紙の両面に8ページ分とか、16ページ分とかをまとめて刷り、それを折りたたむ。(これを折丁と言う)
製本する際にはこの折丁を順番に重ねて背を糸でかがって綴じる。(だから綴じる順番を間違えてページが乱れたものを乱丁と言う)
さらに麻紐などを芯にして補強し綴じ付ける訳だが、糸でかがった部分はその結び目が背を横切って一列に盛り上がる。
その結果、背には横に何本かの隆起ができてしまう。それに革などで背表紙をつけると自然とその部分が盛り上がる。
これをバンドと言う。等間隔に数本程度あるのが普通だ。(もちろんビザンチン式製本など背が平らな製本方法もある。)
このバンドがあると書き上げにしろ書き下げにしろ、それを乗り越えて縦にタイトルを書くというのは不自然だし見た目も悪い。
背バンドを枠の様に見立てて、その間に著者やタイトル等を順にレイアウトして印字する事になる。
著者は姓だけを書く事が多い。長くても普通は8文字ぐらいまでなので、無理なく横書きにできる。
タイトルも主題になる部分の2、3単語を簡潔に横書きにしている例が多い。
そしてこの製本過程で必然的に出来てしまう隆起は、やがて背表紙のデザインとして定着する事になる。
バンドの上下に金線を入れたり、後には製本時に出来るバンドとは別に単に飾りとしてわざと不要な偽バンドを盛り上げた背表紙も現れる。
例えば私の本棚の本でも Boudier の菌類図譜の復刻版の背表紙 は製本とは無関係なバンドを盛り上げ、銀線をデザインしている。

先に、古くは購入者が自分の好みに合わせて装幀していた、と書いた。
それが19世紀中ごろから出版の工業化、大量生産が始まり出版社が製本して販売するようになる。主にハードカバーのクロス装だが、
革装本からクロス装になって背は上から下まで平らになり、全体に無理なく印字出来るようになっても
デザインとしての背バンドの伝統は案外根強く残る事になる。わざわざ盛り上げる事はさすがに少ないが
横に金線を何本か引いて著者、タイトルなどを書き分けているのは明らかにその名残だ。
しかもこの頃の本はかなり分厚い物が多い。紙質が比較的厚く、活字もやや大きいためである。
活字が大きいのは、紙質やインクの問題の外に、照明が今ほど明るくなかったのも要因の一つだろう。
当時の本とペーパーバック版等で近年復刻されたものとを比べると、厚さはほぼ半分近くにまで薄くなっている例もある。
だからそんなに無理なくタイトルを横書きする事ができた。その後紙質が薄く、活字も小さくなり、より薄い本が増えてくる。
それに伴って、書き上げ書き下げの本が増えてくるのが第一次大戦前後である。
それは確かにアメリカでは殆んどが書き下げである。イギリスでは初めは書き上げる事が多かったが時代が経るに従って書き下げが増えていく。
もっとも、出版社によって傾向があって、つい最近まで書き上げを続けている出版社もある。
だが現在の英米圏の出版物はまず書き下げ、といって間違いないだろう。
上記の Question-Box Series の回答はこの頃の事情について述べている事になる。

アメリカには、背に書かれる情報についての規格がある。(ANSI/NISO Z39.41-1997, Printed information on spines.)
これには図書館がラベルを貼る位置「Library identification area」は 1.5インチなどと、大きなお世話だと思うような規定まであるのだが
この規格では背表紙のタイトルの書き方として書き下げ、縦書き、横書きが挙げられているだけで、書き上げについては触れられていない。
アメリカでは書き上げは規格外なのだ。この規格の中で一番目に付きやすいものを選ぶとなると、当然書き下げになるだろう。

ではなぜ国によって書き上げと書き下げの傾向が違うのだろう。
雄松堂のホームページ「雄松堂ヴァーチャル展示館」のギャラリートーク「背表紙の謎」の中で
書誌学者の高宮利行先生が次のように言っておられる(以下は私が要約したものなので詳細は上記サイトを参照して下さい)。

「外国の本では表紙を上にして寝かせた時に普通に読める状態(つまり書き下げ)が普通だが、たまにそうでないものがある。
裏表紙を上にして置いて普通に読める本(書き上げ)というのは、地中海の国、フランスとかイタリアとかで出た本が多い。
そして、その類の本は目次が本文の後ろ、最後にある。
その秘密は中世にまでさかのぼる。昔は、地中海の国々では裏表紙を上にして置いていたと思われる。
だから、裏表紙を上にしておいた時、横から見て素直に読めるように、下から上にタイトルが書かれている。」

高宮先生の言葉に異を唱えるつもりはさらさら無い。昔は本は立てずに寝かせて置いていたし、
書架に立てる時も、今とは逆に背を壁側に向けて置くのがどうやら普通だったらしいのだ。
例えば、17世紀の画家 Adriaen van Ostade の 「机で手紙を読む法律家」 (A lawyer seated at his table reading a letter)
に描かれた書架に並んでいる革表紙の書籍は、すべて背を奥の壁側に向けて立てられている。

だが現在の様に書き上げや書き下げが主流になる前段階の背表紙は英米圏、地中海圏を問わず明らかに横書きだ。
それが革装本の背文字スタイルの伝統を継いでいる事はほぼ間違いない。それが1900年代以降になってバンドの制約がなくなった時に、
昔の本の置き方から書き上げと書き下げが国によって分かれたというのなら少なくとも私にとっては説得力がちょっと弱い。
書き上げの本は目次が後ろにある、というのはフランス以外にもドイツ、ロシアの本も含めてその傾向があるのは確かだが、
必ずしも背文字の方向と一致しているわけではなく、ドイツの本は背表紙が書き上げでも目次は巻頭にある事も多い。
そして、イギリスで出版された本は背表紙が書き上げでも目次は冒頭にある事が多い。
目次が後ろにあるのはむしろ製本の際のページ付けの慣習の違いと関係があるのではないかと思う。

目次は、例えば第何章は何ページから始まる、というページ数を示す必要があるわけだから、本文のページ付けが決まらないと作れない。
本文の活字が組み上がって、総ページ数がはっきりした後で作られるのが普通だろう。
フランスやロシアの本は、標題紙を含めた本の冒頭から 1,2,3 ... とページを付けている事が多い。
既にページが決まっているわけだから後から組む目次を冒頭に持ってくるとページ付けがずれてしまう。自然と最後に付けざるを得ない。
(もちろん、あらかじめ目次分を空けてページを振ることもできるけれど、同じ折丁で印刷することは難しいだろう)
一方でアメリカ等の本では、本の冒頭からでは無く本文の先頭から 1,2,3 ... とページを付け、
献辞や目次などは本文とは別に普通はローマ数字で i, ii, iii ... と前付けページを付ける事が多い。
これなら本文のページ付けを変更することなく目次を前に持ってくることができる。
目次が後ろにあるから裏表紙側を上にして置き、その結果として背表紙を書き上げるのか、
表紙を上にして置きたいから目次を前付けページに入れて前に持ってきて背表紙を書き下げるのか、
何が一番最初の原因でどう因果関係があるのかよくわからないが、イギリスの本はアメリカの本に比べて前付けページの無い本が比較的多かった事や
背表紙は書き上げが基本のロシアの出版物で、たまに見かける書き下げの本は前付けページがあって、目次も巻頭にある場合が多い事などを考えると
前付けページ、目次、背表紙が互いに影響しあっているのはほぼ間違いない。
だがイギリスの本の目次の例を見ると、フランスやロシアの本が書き上げる理由と、イギリスの本が書き上げる理由は違うのではないか、とも思える。

書き上げと書き下げが分かれた理由は他にあるのではないだろうか。当時、何か先例になる物があったのではないか。
特に、同じ英語圏で生活習慣が似ていたはずのイギリスとアメリカで文字の方向が違っていた、という事は大きなヒントではないかと思うのだ。
細長いスペースに、自然な流れに逆らって文字を書かなければならない、という事は実生活ではほとんど無い。
例えばリボンのような細い紙切れしか手許になくて、それにメモするという場合、英語で書くのなら横に使えば良いのだし、
日本語なら縦に使えば良いだけの事だ。横書きの国で、文字を書く部分が縦に細長い場合が本の背表紙以外にあるだろうか。

看板はどうだろう。道路などにある看板。横に長いと道路に張り出しすぎて邪魔になる事もあるだろうし、
実際に建物に沿わせて縦長い看板を垂らしている事も多いと思う。
幸い、ネットで海外の風景はいくらでも見る事ができる。アメリカ、イギリス、ヨーロッパで書き方は違うだろうか。
結果は予想に反して縦書きの看板が意外に多かった。書き上げ、書き下げの看板もあるが、どちらが優勢、という程の傾向は見出せなかった。
これは欧米人も、やむを得ず縦に書くのなら書き上げや書き下げよりも縦書きが読み易い事を示していると考えてもいいのだろうか。
もっとも、100年以上前の看板が今と同じ傾向だったかどうかまではまだ調べきれていないのだが。

旗はどうだろう。横長い旗に書かれた文字が風に吹かれた状態で普通に読めるように書かれていれば、それは垂れた状態では書き下げになる。
だが、これはどの国でも同じはずだ。

イギリスとアメリカでは車の通行する側が違う。アメリカは右通行だしイギリスは日本と同じ左通行だ。
その起源も諸説あるようだが、それはともかく、この違いが何か関係がありそうな気がした。
そこで大陸諸国の交通規則を調べてみた。時代によって変わったりする国もあって複雑だが、本の背表紙との関係は認めにくかった。

古い建物で(特に古い建物に限ったことではないと思うけれど)門扉の外周に「∩」字状に建物の名前などを書いていることがある。
ほぼ例外なく向かって左下から書き上げて上部では横書きになり、右下に向かって書き下げて終わっている。
また、紋章ではモットーが「∪」字状になったリボンに書かれるが、この場合は左上から書き下げ、下で横書きになり右上に向かって書き上げる。
西洋で文字を書く部分が縦になる例の一つだが、これはどちらも本来は横に書かれるべき一行が上や下に曲げられているだけだろう。
背表紙とはあまり関係なさそうだ。結局、よくわからない。

本が未製本あるいは仮綴じのまま売られていた頃、本屋では本は平積みされていたらしい。
一番外側は擦れて痛みやすいために、本文の外側にカバーの紙を付け、内容が分るように標題を書いたのが標題紙の始まりだ。
その標題紙がどの国の出版物でも本の冒頭にあるという事は、少なくとも売られている時には表紙側を上にして置いていたはずだ。
ということは裏表紙を上にして置いた、というのは購入して各自が製本した後、自分で使う時の事だろうか。
昔は地中海地域の国々では裏表紙側を上にして置いていた、と言うのを確認する事はできるだろうか。

室内を描いた18世紀ごろまでの絵画を調べてみた。構図的な制約もあるはずだから正しく当時の習慣が描かれているとは限らないし
置かれた本の方向を確認できた例も少なかったが、やはり描かれた本の背は横書きの物が多いようだ。
読んだ本を閉じ、天地がそのままで背が見えるように机に置く際、自分の右か前に置くのなら書き下げのタイトルが読みやすいが、
左に置くのなら裏返す事になるから書き上げが読みやすいはずだ。
裏表紙を上にして置くと言うのは、本を自分の左右どちらに置くか、つまり机上のどちらにスペースがあるか、に拠るものだろうか。
アンティークの机や、古い修道院の図書室の写真などを見てみたが、英語圏と地中海圏での差はなさそうだ。
現在の机は片袖の場合は普通は右側に引き出しが付いていて、右の方がスペースが広い。これなら右に本などを置くのが自然になるだろう。
あるいは光の差し込む方向が影響するだろうか。机は窓からの光が左側から射し込むように置かれることが多い。
そうすると、自分の左側に本を積み上げると手元が影になる。やはり本は右側に置くことになるだろうか。
もっとも、私は本は自分の左側に置く。左手で本をめくったりページを押さえたりしながら右手で字を書くためで、これが右利きの人にとって普通だと思っている。
こういった習慣にお国柄があったのか、そして今もあるのかどうか、図書館で本を閲覧している留学生をそれとなく観察してみた。
もちろん国籍などは分らないが、やはり左か前に置く人が多いようだ。特にパソコンを使い、右手でマウス操作している人は殆んどが左側に資料を置いている。
だが、背表紙を自分側に見えるように置いているとは限らない。
本をどう置くかは、国(言語)による違いでは無く、少なくとも現在は単に個人的な癖と机の状況に拠るのだろう。
外国の人に細長い紙を縦に見せて、これに名前を書いてみてください、と頼むとどの方向に書くだろうか。試すとおもしろそうだ。
残念ながらそんな変な事を頼める知人がいないので想像になってしまうのだが、目の前に縦長で文字一行分の幅のスペースがあって、
そこに左から右に進む文字(西洋の大半の言語がそうである)を右利きの人が筆記体で書くとしたら、下から上に書くのではないかと思う。
そう考えると背表紙の書き上げは自然な文字の流れ方と言えるのかもしれない。

背文字の向きを揃えよう、という動きは先に書いたアメリカの規格に限らず他の国にもあるし、またずいぶん古くからあった。
戦前のイギリスの出版社協会などでもどちらかに揃えようとする動きがあったようである。
だが現在に至るまで全ての国の出版物が揃うまでにはなっていない。
方向が揃っていると読みやすいし、同じ規格の背表紙が並んだ本棚は眺めていても気持ちがいい物だ。
例えばロエブ古典叢書とか、中国の四庫全書といった大部の叢書が何百冊もずらりと並んでいるのは確かに壮観だ。
でも威圧感はあるものの、少し単調な感じがしてつまらない。むしろ背表紙なんか揃ってなくてもいいじゃないか、とも思う。
文字の方向があべこべだろうが、大きさがばらばらだろうが、そんな本がごちゃごちゃと並んでいる方がたとえ読みづらくても私は好きだ。
大きな書架にそういった本が並んでいるのを見ると、いかにも先人の叡智の百花繚乱という感じがするから。

(2010.11.24 記; 2019.01.18 追記)