川村清一氏談「斬新な紙の原料」

川村清一というと「日本菌類図説」の著者で、戦前におけるキノコ分類学の第一人者、と思っていた。
確かにその通りなのだが、「日本菌学史」(日本菌学会, 2006) 等に拠ると実際にはキノコの分類以外にも多くの業績がある事がわかる。
東京毎日新聞の「通俗講話」というコラムに大正8年11月8日から4回に亘って、川村博士が「斬新な紙の原料」という記事を寄せている。
(新字体に直し、若干の当て字は書き換え、よみがなは[ ] に入れた。)

「斬新な紙の原料」
(1)三千五百年の昔も紙を製した
太古未開の時代には物を記録するにも、紙といふものがなく、僅に草木の葉や木片、石盤、獣皮などに記して、之を人に示し、又後に伝へるに過ぎなかった。
それで紙を製するやうになったのは、比較的近世の事かといふに、さうでなく、今を去ること三千五百年の昔既にエジプト人は紙を造って居たのである。
彼等はその原料として、世界で一番大きな莎草科植物なるかやつり草の一種を用ひた。
此草は学名を「シぺラス・パピルス」といひ、好く生長したものは、軸の直径一寸に及び、高さは人の丈に倍する。
日本では温室に栽培せられ、現に植物園にもある。
即ち此草の楕を薄く裂いて縦横に重ね、粘質物を加入した上、圧して紙に造るので、そして出来上がった紙を、草名パピルスに因んで呼んだ為、
一般に紙の事を独逸語ではパピール、英語ではペーパーと呼び、又仏蘭西語其他多くの国語でも類似の名で呼ぶに至ったのである [1]
日本では此植物をかみかやつりと云って居る。
私共の習った中学校の歴史の教科書には、昔エジプト人はパピルス樹の皮を剥いて紙を漉いたとあったが、
これは多分編者が其植物の写真か何かを見て、余り大きいので、草と知らずに樹と思い誤ったのであらう。
こんな誤りは他にもある。日露戦争後、従軍徽章に月桂樹と棗椰子の葉とを刻し、従軍徽章条令に「月桂樹と戦捷草を交叉し云云」と発表された。
以後戦捷草なる新名が公になった。恐らく図案家あたりから提案されたものであらう [2]
併し、これは椰子の葉一枚を一本の草と見誤ったのである。其植物は草ではなく、実は数丈の高さを有する樹なのである。
地中海沿岸地方では之を柱にも使ひ、板にも、床にも用ふる位で、立派な大樹である。
一は草を樹と誤り、一は樹を草と誤る。無智の、人の過まるも甚だしいかなだ。

(2)何故新聞紙は古くなると黄色になるか
吾邦では紙の原料として、従来主に靭皮繊維を用ひて居た [3]。 靭皮繊維は木質繊維よりも強い。
故に日本紙は強靭で、之を裂いて織物にもし、又パナマ帽の類似品にも充て得る。
西洋紙は木質繊維のみならず、木質細胞をも混じた儘製するから質が甚だ脆い。
靭皮繊維は細くて膜が厚く、且長いのが特長であり、木質細胞は太くて膜が薄く、短いのが特長である。
試みに繊維の長さの順序で排列すると、一番長いのが苧麻で、平均二百二十ミクロンある [4]
次は草綿、亜麻、大麻、三椏、楮、莞草 [5] 、雁皮、針葉樹、竹、黄麻、エスパルト [6] 、白楊樹 [7] の順序である。
又幅で云ふと、苧、針葉樹、白楊樹、甘藷、草綿、大麻、亜麻、竹、楮、黄麻、雁皮、三椏の順で、雁皮、三椏の類は繊維の最も細いものである。
日本でも木材パルプが一般に使用さるるが之は近世のもので、主に樅、椴[トドマツ]、蝦夷松の如き針葉樹から採る。
蓋し針葉樹には水分を運ぶ導管がなく、為に水分はトラケート(仮導管)を通り、甲から乙、乙から丙へと孔を潜って上るから、
木質繊維細胞の外仮導管まで繊維の形を成し、皆製紙に適して居るからである。
今少しく紙々に就て其原料を挙げると、鳥の子の紙は三椏で製し、奉書は楮で、鹿児島産のナプキン原紙は構[カジノキ]で造る。
煙草の巻紙(大阪製)は麻で、障子紙(鹿児島産)はマニラ麻若くは構や雁皮の繊維を混ぜたものもある。
台湾の唐紙は刺竹から、純粋の雁皮紙は勿論雁皮の繊維ばかりだが、三椏を混ぜて製するのもある。
三椏、雁皮、楮、構、麻の類は非常に強靭な紙(所謂日本紙)を製するに適する。
所がそれでは高価なものになるのと、又紙の用途によっては、必ずしも強靭なるを要せぬので、之に木材パルプを混ぜる場合もある。
斯して出来たのが所謂改良半紙の如きものである。障子紙は木材パルプを多く混ぜて製したものでは弱くて余り役に立たない。
又木材パルプを多く入れると、日に焦る憂ひがある。
木材パルプのみで造る新聞紙を永く保存すると、黄色くなるのは、針葉樹の木質細胞が太陽の光線の為に変化するからで、
恰度かの椴、樅、栂其他の木材が、建築物に用ひて日数を経ると日に焼けるのと同様である。
靭皮質の繊維と、木質繊維とを適当に配合して製したものが、静岡や土佐の改良半紙又は岐阜の図引紙などで其他様々ある。

(3)桑樹の皮から優良なパルプ
紙の原料との繊維として、強靭なる事楮や構に匹敵し、優に第一類に入れて恥かしくないのは、桑樹の皮である。
然るに此良質の靭皮繊維を有する桑樹の皮を、製紙原料として居る所は在っても、極めて少ない。
養蚕事業の盛なるにつれて、桑の栽培随って多いにも拘はらず、桑を摘んだ後の枝幹は、大概の地方では皆むざむざ風呂の薪にして了ふ。
這は寔に勿体ない事で、利用の法を誤れるものである。なぜ之をパルプにし、優良なる桑の紙を拵へないのであらうか。
惟ふに養蚕地方では其業に忙しく、桑の皮を剥く暇がないからでもあらう。併し桑の皮は、生の時直ぐ剥かなくとも、養蚕が閑になってから之を剥いても可い。
尤も乾いてからは、一度蒸さなければ皮は剥け難いが、蒸すのが面倒ならば葉を摘んだ後枝を束にして水に浸して置くと宜い。
すると自然に腐って、繊維に分解され、外の黒皮なども除れて無くなる。
そうなれば皮を剥いで足で踏んでも容易く繊維を取ることが出来る。
それを製紙会社に売れば、之を薪にして了ふよりも遥に利益である。
今日では此需要供給の途が備はらない為に、折角優良の製紙原料があるのに、正常に利用されないのは遺憾である。
顕微鏡的に確実に良質の繊維を有する桑樹の皮は、将来大規模に利用されなければならぬ [8]
紙は時代時代に新しいものが発見されるので、木材パルプも近世のものであり、甘藷の蔓のパルプも近来の発見である。
最近海草の或種類から優良のパルプを採ることが発見された。其海草は軸や地下茎が甘いので、甘藻といひ、一名味藻ともいふ [9]
此海草の一名を「りゅうぐうのおとひめのもとゆひのきりはづし」(竜宮の乙姫の元結の切り外し)と云ひ、
植物中一番長い名前である、名前も長いが、葉の形も長い。
学名は「ゾステラ・マリナ」、眼子菜科に属し沼や田にあるひるむしろややなぎ藻、ゑび藻、ささ藻の如き、淡水産の水藻と同じ科である。

(4)海草から優良なパルプ
甘藻は海にあるから海草とは云ふものの、一般に海の植物なる、こんぶ、わかめ、ひじき、てんぐさ等の海草が皆隠花植物であるのに、
此甘藻は独り顕花植物である。甘藻は至る処の海に産し、殊に下に泥のある入り江や湾に多く産する。
そしてかじめ、あらめなどの繁殖する深い処には余り繁殖しない。又魚類の多く着く様な海には生えない。
甘藻から採った繊維は雁皮の靭皮繊維の如き繊細な形態を備へ、幅は頗る狭く、五乃至六ミクロン(一ミリメートルの千分の一をミクロンといふ)位に過ぎない。
此植物を採集するに都合の好いのは、他の楮でも、三椏でも、皆地に作り、取ってからは皮を剥がねばならぬのに、
甘藻は自然に生へて、 而も繊維を葉から採るのであるから、皮を剥ぐ世話がない。
且つ竹の根の様に地下茎が残って居るので、一度刈っても復生える。
従来は此植物は多少肥料に供したのみで、殆んど顧みられなかった其繊維が優良なパルプになる事の発見されたのは、
廃物利用の上から喜ぶべき事である。人或は海草は沃度を採るに用ふるから、廃物でないと云ふかも知れぬが、
沃度や臭素は他の海草即ち隠花植物なるあらめ、かじめの類から採るので、甘藻からは採れない。
又海草を無暗に獲ったら、魚類が来なくなって漁師が困るだらうとの杞憂を抱く人には、甘藻は泥のある海に好んで生え、岩のある所や、
深い海には生えないから、他の海藻の如く、魚類に及ぼす影響はないといふ事を言へば足りる。
又同じ科でも別属なる海草で、和名をすが藻と云ひ、学名を「フヒロスバデフクス・スコレリー」 [10] といふのがある。
之は東北地方の海岸に産し、好く馬の鞍下に敷く。汗に濡れても繊維が丈夫だからであらう。
兎に角、甘藻は日本に広く産し、殆んど無尽蔵と言っても可い。かの葦の如く、幾らでも繁殖するものである。
尚之を学術上から研究して、其繊維の品質改良を図り、良質のパルプを造り、サイズ等を配合して紙を製するに於ては、大なる国益となるに相違ないと思ふ。(完)

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[1] パピルスは名前は良く知られているがその製法の詳細は長らく不明だった。
  植物のパピルス (Cyperus papyrus) の髄を削いで薄片とした物を水に浸し縦横に重ねて叩いて造るが、その接着方法は粘質物を加えるのでは無く、
  バクテリアの作用で発生する粘性の物質によるとされている。
[2] 正式には「明治三十七八年従軍記章」、一般には「日露戦争従軍記章」とも言われる。
  裏面には「明治卅七八年戦役」と刻された楯を中央に、右に月桂樹、左に戦捷草を描いている。
  明治39年3月31日に発表された勅令51号に「裏面ニ月桂樹ト戦捷草ヲ交叉シ...」とあるのが戦捷草の名前の最初である。
  ナツメヤシは西洋では古くから勝利や名誉の象徴とされ、たとえばヨハネによる福音書(12:12-13)にも
  「その翌日、祭りに来ていた大勢の群集は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えた。」とある。
  復活祭の前の日曜日を Palm Sunday と呼ぶが、この Palm はナツメヤシの事である。
  川村博士は、この戦捷草の名前がよほど気になったのだろう。「大日本青年講習録」という雑誌に「戦捷草の由来」という文章を寄せ、
  「常緑の喬木を草と誤り伝える如きは政府当局者の大なる落度である。」と書いている。
[3] 和紙の原料は主にコウゾ、ミツマタ、ガンピの三つである。
[4] ミクロン、はミリメートルの誤記だろうと思う。
[5] 莞草(ワングル)は朝鮮半島で古くから栽培されているカヤツリグサの一種。茣蓙などに加工される。
[6] Esparto は北アフリカなどで栽培されるイネ科の植物。籠などに加工されるほか、製紙原料ともされる。
[7] ポプラの一種。中央アジアでは紙の原料にすることもあるという。
[8] クワとコウゾは同じクワ科だから同様の靭皮繊維を持つことは不思議ではないが、
  クワは皮剥きと精製に手間と費用がかかる上、繊維の歩留まりが少ないという欠点があった。
  葉の生産が第一の養蚕農家にとっては季節的要因も含めて養蚕の片手間に行うには、効率が悪かったのだろう、
  長野県の一部などで優良な紙を生産した以外は一般的ではなかったようである。
  製紙量が増えた大正期の雑誌や新聞にはこの欠点を改良し、養蚕農家の副業として奨励する記事が散見される。
[9] この発見とは特許番号 34031号(1918年10月18日出願、1919年3月28日許可)の「海草(「アジ」藻)製紙原料製造方法」の事だろう。
  アマモに籾殻などを加えて醗酵させた後、柿渋やアルカリ溶液で処理、漂白乾燥して製紙原料とするものである。
  また大正8年9月24日の国民新聞でも「海草から紙 -- 国家的の大発明」として紹介されている。それには
  「茲に驚嘆すべき而も国家的有利事業として日東玩具株式会社河田以傭三氏主唱発起となり戸水、吉田の両博士及星野錫、神田鐳蔵、岡崎藤吉氏の外
  知名なる実業家の発起賛成を得て既に本年三月に於いて特許権を得たる海草アジ藻から製紙原料パルプを製造すると云ふ一大発明をなしたり。」
  とあるが、どの程度実用化されたかはわからない。
[10] 本州中部以北に分布するスガモは Phyllospadix iwatensis とされる。Phyllospadix scouleri は主に北アメリカ西岸に分布する種である。

当時、川村博士は千葉県立高等園芸学校の教授であり、既に「日本菌類図譜」を出版しつつあった時期だが、こんなことにも関心があったようだ。
紙の需要が増えるにつれ木材以外の紙の原料があれこれと模索されていた時期だったのだろう。

私が子供の頃、海に泳ぎに行くと砂浜にアマモがたくさん打ち上がっていたし、流れ藻となって波間にも漂っていた。
当時はアマモという名前も知らなかったし、海中に生える数少ない顕花植物だとも知らなかったが、
表面がぬるぬるしていないし、葉もしっかりとした繊維質だからアオサやホンダワラとはどこか違うとは思っていた。
泳ぎ疲れた時などは、このアマモの幅数ミリ程度の帯状の葉をちぎって濡れた肌の上に貼り付けて字や絵を書き、
その上から砂を振りかけた後でそっと葉を剥がすと、その部分の砂が抜けて字が残る、という遊びをやっていた。
やや褐変したり黒っぽくなった枯葉が柔らかくて具合が良かったのだが、それはもしかしたら海生菌の寄生によるものだったか、等と今になって思う。
砂地や泥地に生えるアマモは、かつては至る所に大群落を作っていて、肥料として利用した地域もある。
浜名湖ではアマモ採りが漁業に引けをとらない産業だった。
今では全国でアマモが減少し、アマモ場再生事業などが進められているぐらいだから採って紙を造るなど考えられないだろう。
一昔前には所々で見かけた桑畑も、今ではほとんど見なくなってしまった。

(2010.06.15 記; 06.24 追記)