西暦(元号)年齢 | 輝子の足跡 [関連事項] |
1846 (弘化3) | 医師園貞齋の娘として江戸で生まれ土浦(茨城県)で育つ。 |
1865 (慶応1) 19 歳 | 結婚 (ただし結婚は1863年の可能性がある)。 |
1871 (明治4) 25 歳 | 離婚して実家へ帰る。[津田梅子ら渡米] |
1874 (明治7) 28 歳 | この頃まで茨城で教師をしていたが上京、代言人となる。その後再婚しているが弁護士規則ができる前に離婚したらしい。 |
1876 (明治9) 30 歳 | 代言人規則制定後は浅草で氷屋を営業したり、渡辺小太郎の許で学んだりしたらしい。[代言人規則制定] |
1885 (明治18) 39 歳 | 12月、渡米。 |
1886 (明治19) 40 歳 | 1月、サンフランシスコに到着。[東京婦人矯風会が結成される] |
1888 (明治21) 42 歳 | アメリカで小学校を卒業する。 |
1889 (明治22) 43 歳 | 4月、Woman's Chrisitan Temperance Union に参加。その後シカゴ、ニューヨークへ。 |
1890 (明治23) 44 歳 | アメリカで自伝を出版。 |
1891 (明治24) 45 歳 | 11月、ボストンで行われた WCTU の大会で演説をする。 |
1892 (明治25) 46 歳 | この頃、WTCU で盛んに演説をしている事がワシントンポストなどの記事に見られる。 |
1893 (明治26) 47 歳 | 1月、渡英。9月に帰国の途に。 |
1894 (明治27) 48 歳 | 9月、倚松園女塾を開塾。 |
1898 (明治32) 52 歳 | 伊豆で伊東婦人会を開く。 |
1904 (明治37) 58 歳 | 本門寺に隠遁。 |
1916 (大正5) 70 歳 | 古稀の祝賀会が催される。 |
1925 (大正14) 79 歳 | この時点で生存。 |