初期検印紙調査メモ. 中江兆民著「革命前法朗西二世紀事」(集成社, 明治19年12月出版)

串田孫一著「フランス哲學の移植と發展」(「別册哲學評論. 日本における西洋哲學の系譜」 (民友社, 1949) 所収 [1])に、
中江兆民(本名:篤介 [とくすけ]、1847-1901)が著した「革命前法朗西二世紀事」の奥付について、次の様に触れている。
「尚奥附にある檢印をみると、兆民専用の檢印紙で、二匹の蜻蛉にT.N.の花文字がからみ、その磊落のうちにも細かなフランス歸りの氣取りさへ感じられるのである。」

中江兆民は明治時代の思想家。ルソーを日本に紹介したことで知られる。
「革命前法朗西二世紀事」は、ルイ15・16世時代のフランス史を扱ったもので、フランス革命に至る過程を論じた書。
京都大学人文科学研究所本を確認した。奥付は以下のとおり。
明治十九年十月廾五日 板權免許(定價金九拾錢)
明治十九年十二月 出版
編者兼出版人 高知縣士族 中江篤介[印] 東京北豐島郡西ヶ原村八十六番地寄留
發兌 集成社書店[印] 東京神田區小川町拾番地
出版人表示の "中江篤介" の脇に捺されている印は "篤" の角印、高さ約12ミリ。書店印は "集成社之印" の角印。
そして、紙葉の左上の空いた部分に 検印紙 が貼られている。串田が書いている通り、中江篤介のイニシャル "T.N." と翅を広げたトンボが二匹描かれている。
検印紙は正方形、一辺27ミリ、凹版印刷、目打は無い。四隅には裁断の目安となる線(おそらく十字)が見える。
人文研本の検印紙は何故か上下逆に貼られていて、右下に "篤" の割印がある。(上下逆転画像は こちら

「中江兆民全集」8 (岩波, 1984) に井田進也氏による同書の解題がある。奥付の記述は上記の通りなので、それ以外の書誌の記述を引用する。
奥付裏に売捌所数店を掲げる。本の体裁は赤い布装で四六判、「引用書目」一頁、「目録」四頁、本文「巻ノ一」・「巻ノ二」(目録では「巻ノ上」・「巻ノ下」)合わせて二二八頁、
奥付二頁で、末尾に紅色の薄手の紙を使用した「集成社発兌書目」(第一葉に「理学鉤玄」と、これに対する報知・朝野両新聞の批評を掲げる)一五頁が綴じ込まれている。
また本文の該当箇所にはモンテスキュー、ウォルテール、チュルゴー、ラフェイエット、ルーソー、ミラボー、ロベスピエール、ダントンの本邦で作製された銅板による肖像画八葉が挿入されている。
しかしこれとは別に、版権免許・出版の期日を同じくし、「引用書目」、「目録」、本文についても同じ紙型を使用しながら、茶色の布装で、肖像画八葉を一括して巻頭に掲げ、
本文と同一の用紙に発兌書目(ただし第一葉を欠く)を刷り込み、その末尾裏面に奥付(ただし売捌所なし)を配した一本がある。この二種類の刊本は、両者とも流布した模様であり、
いずれを正本とすべきか決めかねるが、本巻ではとりあえず、奥付に売捌所が記され、発兌書目欄に欠落のない前者を底本として採用することにした。
本書の再刊類はこれまで発見されていないので、版を重ねた事実はなかったと思われる... [以下略]
奥付にあるはずの検印紙と兆民の捺印については言及されていない。ここでは二種の刊本を「赤本」、「茶本」と呼ぶことにする。

京都大学人文科学研究所本の記述は以下の通り。
修理製本済、オリジナルの体裁は不明。本文紙葉の高さは 17.8 cm。
標題紙: [1葉]、飾り枠中に、"中江篤介編 | 革命前法朗西二世紀事 全 | 東亰集成社發兌"。裏面は白紙。
"引用書目": [1葉]、裏面は白紙。
目録: [2葉]、ページ付け(一から四)あり。
本文: ページ付け(一から二二八)あり。
肖像画: [8葉]、やや厚手用紙、裏面は白紙、印刷面には保護用の薄紙が重ねられている。挿入されている箇所を前後のページを示す。
モンテスキュー (108-109)、
ウォルテール (116-117)、
チュルゴー (134-135)、
ラフェイエット (164-165)、
ルーソー (174-175)、
ミラボー (188-189)、
ロベスピエール (192-193)、
ダントン (194-195)。
ミラボーの図版のみ見開き状態で右側、それ以外の図版は左側になる。
奥付: [1葉]、奥付の詳細は上記参照。裏面は "賣捌所"(博聞社、丸善書店、叢書閣、澤屋蘇吉、三木佐助。各住所も併記)。
"集成社發兌書目": [8葉]、淡紅色の薄手用紙、ページ付(一から十五)あり。 最終頁(15ページの裏面)は白紙。
原装を確認できないが、「赤本」と判断できる。なお、前半の本文上部には古い水濡れの跡があり、そのシミの縁は薄赤色に染まっている。

京都大学法学部図書室本。小早川欣吾 (1900-1944) 旧蔵本。記述は以下の通り。
クロス装無し。補修されているが、おそらくオリジナル装。本文紙葉の高さは 18.3 cm。
表紙: [1葉、人文研本の標題紙と同じ]、飾り枠中に、"中江篤介編 | 革命前法朗西二世紀事 全 | 東亰集成社發兌"。裏面は白紙。
肖像画: [8葉]、やや厚手用紙、裏面は白紙、保護用の薄紙は無い。人文研本と同じ順で全て冒頭にあり、見開き状態で左側。
"引用書目": [1葉]、裏面は白紙。
目録: [2葉]、ページ付け(一から四)あり。
本文: ページ付け(一から二二八)あり。
"集成社發兌書目": [7葉]、本文と同じ用紙、ページ付(三から十五)あり。1-2ページは無く、書目は途中から始まる。
奥付: 発兌書目15ページの裏面。記述は同一。検印紙、押印無し。
最終紙葉: "賣捌所"(博聞社、丸善書店、叢書閣、澤屋蘇吉、三木佐助。各住所も併記)。裏面は白紙。
裏表紙: 白紙。背表紙も印字なし。
布装ではないが、「茶本」と判断できる。

国立国会図書館デジタルコレクション本
修理製本済、オリジナルの体裁は不明。本文紙葉の高さは約 18 cm。
標題紙: [1葉]、飾り枠中に、"中江篤介編 | 革命前法朗西二世紀事 全 | 東亰集成社發兌"。
上部に "東亰圖書館藏" 印、のど近くに "明治十九年十二月十八日内務省交付" の朱印、その下にペン書きで "2019"。
"引用書目": 見開きの右側ページになっている。標題紙の裏面か、別葉が貼り合わせられているのか、画像からは判別が難しい。
目録: [2葉]、ページ付け(一から四)あり。乱丁があり、三、四、一、二、の順に綴じられている。
本文: ページ付け(一から二二八)あり。
肖像画には保護用の薄紙は無いように見える。モンテスキュー、ラフェイエット、ロベスピエール、ダントンの4枚のみで、
ウォルテール、チュルゴー、ルーソー、ミラボー の図版は欠落している。挿入ページは人文研本と同じ。
画像で見る限り、綴目に破損などの痕跡は認められない。
奥付: [1葉]、記述は同一。検印紙、押印無し。"集成社之印" 有り。
裏面は "賣捌所"(博聞社、丸善書店、叢書閣、澤屋蘇吉、三木佐助。各住所も併記)。
"集成社發兌書目": [8葉]、淡紅色の用紙、ページ付(一から十五)あり。最終頁は白紙。
「赤本」と判断できる。内務省交付本なので、初刷のはずである。乱丁や図版の欠落が後世のものかどうか判断できない。

国書データベースには小浜市立図書館酒井家文庫本と、立命館大学図書館西園寺文庫本があり、注記からある程度特徴が判る。
なお記述によれば、2本とも背表紙に "革命前法朗西二世紀事 全" の表示がある。
小浜市立図書館酒井家文庫本。 目次、本文、奥付などの一部は 画像 が公開されている。
クロスは赤。高さは 18.7 cm。図版は7枚、モンテスキューが欠落している。奥付にはトンボの検印紙あり。
図版はルーソーの一枚だけが公開されている。挿入箇所は本文中 (174-175)、保護用の薄紙がある。
奥付は、本文と同色の用紙で、"集成社發兌書目" 15ページの裏面に印刷されたものであることが透けて見える。
奥付の左上部に貼られた検印紙には割印が無く、出版人表示にも "篤" の印は無い。
"賣捌所" は奥付とは別の紙葉に刷られていて最終紙葉のように見える。
奥付の印刷紙葉から「茶本」系統と思われるが、画像で見る限り、クロスはえんじ色に近い赤で変色の程度は不明。
図版が巻頭ではないので「茶本」にもいくつかの製本バリエーションがあることになる。また、本の高さが1センチほど高い。クロス装の高さだろうか。
なお、酒井家文庫本と京大人文研本の検印紙の図柄は、トンボの羽の脈などに若干の相違があるので、原版は別と考えられる。

立命館大学図書館西園寺文庫本。 画像は公開されていない。
総クロスで色の記載なし、高さは 17.9 cm。図版は7枚、モンテスキューが欠落している。
見返しには "呈 / 西園寺兄 / 机下 / 明治十九年十二月日" の墨書あり。
墨書には署名が無いようだが、兆民による西園寺公望への献呈本だろう。
記述からは「赤本」、「茶本」のどちらか判断できないが、その日付から初刷と判断して良いと思う。
クロス装で 17.9 cm とされているが、「立命館大学図書館蔵西園寺文庫目録」(1990) では、19 cm となっている。

国会図書館蔵の内務省交付本に検印紙や検印が無いのは、他本にも例もあり珍しい事ではない。
しかし、流布本のはずの酒井家文庫本が検印紙が貼付されながら兆民の検印が無いのはどうしたことだろう。

「中江兆民全集」の解題には、"この二種類の刊本は、両者とも流布した模様であり、いずれを正本とすべきか決めかねる" とある。
「茶本」の京大法学部本の本文は印刷が少し荒れていて、例えば本文1ページ目、上部にある評語の、"職" の字はほとんど潰れている。
また、同ページの5行目、6行目、7行目に字間(おそらく四分アキ)のスペースが明瞭な黒線となって刷られている箇所 [2] がある。
同じ「茶本」と思われる酒井家文庫本では、印刷は比較的鮮明で、スペースの写りは薄く、字の潰れも少ない。
「赤本」の印刷はより鮮明で、国会図書館の内務省交付本が「赤本」であることから、「赤本」が正本とすべきものだと思うが、
「赤本」、「茶本」それぞれに、検印紙や製本の状態などに細かな差があり、いわゆる理想本については、さらに多くの図書を確認する必要がある。
「中江兆民全集」で使用された定本は、解題にある通り「赤本」で、高さは 182 mm.、凡例には "初版" とあるが所蔵機関の記載は無い。

同時期の兆民の著作を可能な限り調べたが、この検印紙の他書での使用例を確認できなかった。
兆民の検印紙は 小宮山天香著「断蓬奇縁」の検印紙 と "凹版印刷で濃いピンク色" という点が良く似ている。偶然だろうか。

*文中のリンク先(国会図書館デジタルコレクション、国書データベース)の最終閲覧確認日は 2025.05.20 です。

--- 注(番号をクリックすると文中に戻ります)---
[1]. 後に単行本 「フランス思想史 : 思想の饗宴」(春秋社, 1951) に収められた。
[2]. 文章の組版をする際、読みやすいように各文字の間を少し空けて印刷する場合がある。
活字の間にスペースと言う薄い板(込め物)を挟むが、京都大学法学部図書室本では、スペースが写り込んでいる。
本文1ページ目、5-7行目の該当部分を現物に近い様式で転記する。(原本は縦書き、下線は原本では右二重傍線)
[5行目]  王 ニ 於 テ 屬 最 モ❚近 キ ヲ 以 テ ... [中略] ... 欲 シ テ
[6行目]  而 テ 在 朝 百 僚❚及 ヒ 群 貴 族 ... [中略] ... メ ー ン
[7行目]   侯 ニ 黨 ス ル❚有 リ 皆 時 ニ ... [中略] ... メ ー ン

[2025.05.25 記]
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